これはいったい!?


[謎のポスター]

先週の「アンネん家」の写真をスキャンせねばと思ってアルバムを開いていて発掘された一枚だ。なにもこのお姉さんが気に入って撮ったわけではない。いや、そりゃ最初は何で目に付いたかって言うとその...。えーっと、とりあえず大きくして見てほしい。(汗)

このポスターは街のあちこちに貼ってあったのだが、いったい誰がなんのために貼ったのか、皆目見当もつかない。とくに広告らしき記述もなく、ただただどうしようもないことが書いてあるのみ。しばらく考えたのち、とりあえず写真に撮っておいて後で考えようと思った。

このポスターに出会ったのは5月に入ったばかりのアムステルダムの街角。
あれから、7年半。未だ謎は解けていない...。

let me alone

この日はモスクワに一泊し、翌朝から黄金の環をまわるために一旦この街を離れ、帰国前日の昼頃に再び戻ってくるという予定だった。帰国便は夜なのでモスクワでは2日半あることになる。夜行疲れもあるからこの日はあまりうろうろしないでのんびり過ごそう。ということで、また美術館めぐりをすることに。ロシアにはいい美術館が多いので、なんだか絵ばかり見ているようだが、これでもかなり厳選しているつもりだ。


[トレチャコフ美術館(本館)]

まずはトレチャコフ美術館へ。ひとわたり見終わったあと、付属の教会にあるという「ウラジーミルの聖母」を見るべく、見るべく?どこから行けばいいんだ?ガイドブックにはホールの南側通路から行けると書いてあるが、どうにもそれらしい通路は見当たらない。宗教画をあまり好まない俺だが、まあせっかくここまで来たから一応見ておくかということでホールをうろうろする。

しばらくして、あやしげな通路を見つけたものの人の出入りはまったくなく、なんとなく入りづらい雰囲気。まぁ、違ったら怒られるだろうということで、ずんずん入って行く。あれっ、怒られないぞ、と思いつつ人気の無いところをずんずんと進む。途中警備員に出くわすがおとがめなし。

で、辿り着いてしまった。そこは見張り役の若い女性が本を読んでいるだけで、静寂に包まれていた。その女性はチラッと目をあげて俺の姿を確認すると、すぐにまた本に目を落とした。こじんまりとした教会に「ウラジーミルの聖母」はあった。絵って見る場所だったり雰囲気で随分違って見えると思う。宗教画はやっぱり教会で見るのがいいのかななんて思いながら、ぼんやりと見入っていた。

そこへぞろぞろと欧州系ご一行様到着。大きな声で話し、フラッシュで写真を撮りまくる。見張り役の女性も立ち上がり注意する。あー、もう5分でいいからそっとしておいて欲しかったと思いながら、その場を立ち去る俺だった...。

パルミラ散策中...。(No.022)


シリアにいるようです...。
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あれ?


[まえばしー、まえばしー]

昨日仕事で遅くなり終電で帰って来た俺。今日は休みでゆっくり寝るはずが何故かこんなところに。
8時すぎに家を出て横浜から湘南新宿ラインに乗り込み、乗換2回、3時間くらいで到着。JR車内にある東京近郊路線マップってかなり広域だということを思い知る。大宮を過ぎたあたりからだんだんと車窓から見える風景がのどかになってきて、ちょっとした小旅行気分。前橋では遠くに雪山が見えた。


[United航空も応援]

なぜだ?
神戸サポーターのかるろす氏に連れられて(強制連行?)やってきた、J2草津vs神戸。神戸は現在J1昇格に向けて最後の詰めの段階で1試合も落とせない状況。従って緊迫した試合が期待できる。だからと言って前橋までJ2の試合を観に行くのか。本当に行くのか。本当だな、と何度も念を押した後、家を出た。高崎あたりから神戸サポーターらしき人達がちらほらと見え始め、神戸からとか、名古屋からとか、次は仙台に行くとかって話がもれ聞こえてくる。


[敷島公園県営陸上競技場]

さて、試合の方は?
現在3位の神戸。上位2チームは無条件でJ1昇格だが、3位は入れ替え戦で勝たなければ昇格てきない。3位以内は確定的な神戸だが、ここはなんとしても2位以上を目指したい。神戸オーナーの楽天三木谷氏もこんなアウェーの試合にわざわざ応援に来ていてサポーター席に顔を出したりした(えらい!)。ということで、気合いの入った試合になるはずだった。


[やっぱりアツは別格]

はずだったのだが、決定的チャンスは決められず、しょぼいミスによる失点で1-1のドロー。別試合のライバル柏が負けたので2位に浮上したけど、なんだか消化不良かな。しかも、pins売ってなかったし...。orz

続・おわったー



このブログにしては沢山のコメントを頂いたので事後報告。

修了証書が届いたらそのコピーを教育担当に提出することになっているのだが、いかんせん期限ギリギリだったからか、なかなか届かなかった。教育担当は俺の顔を見ると、

「○○さん本当に提出したわよね?」

と、不信感をあらわにしていた。

で、どうだったかというと、第1単位から順に92点、90点、90点、90点、95点、96点。優秀認定基準(6単位の平均90点以上、最低点70点以上)を満たしたため、本日なんと

優秀修了証書

なんて御大層なものが届いた。どんなもんだいと言いたいところなのだが...。

以下講師講評の中から引用。

「非常に優秀な成績です。各設問に積極的に取り組まれた成果だと思います。」
「レポートに真剣に向かわれた姿勢がうかがわれます。」

いやはやなんとも心苦しい限りだ。(笑)

Cの国

モスクワにあるレニングラード駅7:55着。電車の運行時間は正確で、このあたりはロシア人のイメージに結構合う(俺の個人的なイメージだけど)。とりあえずホテルへは向かわず、駅の手荷物預かり所に荷物を放り込む。ここの預かり所は手ごろな値段で一日預かってくれるのでこの後も利用させてもらった。ロシアの見どころのオープン時間はほとんど10:00からなのでまだ時間がある。身軽になったところで何か暖かいものでも飲もうと適当な店に入ると、威勢のいいおばちゃんがこう聞いて来た。

「カフェ?チャイ?」

俺はこれを聞いて「あっ、ロシアってCの国なんだ」と、このとき初めて知った。


[時間通り到着]

「Cの国」というのは旅好きならほとんどの人が読んでいるといってもいい沢木耕太郎著の「深夜特急」の中に出てくる話で、お茶をあらわす言葉の頭文字を指す。これは亜細亜(「Cの国」)から欧州(「Tの国」)に入った沢木氏が異なる文化圏に来たことを表現したものの一つだ。そういった意味ではロシアが「Cの国」と言うのはちょっとイメージに合わないかな(これも俺の勝手なイメージだが)。

俺はこの分け方が結構気に入っていて、昔ちょっと調べたことがある。「Cの国」、「Tの国」をもっと学問的に分けると、それはお茶の伝来の仕方によって別れているらしい。お茶と言えば中国がルーツと誰でも分かると思うが、中国ではお茶を「チャ」と発音するところと「ティ」と発音するところがあって、後者のところからお茶を買ってきた国が「Tの国」で、前者のところから買ってきた国が「Cの国」となっているらしい。と、まあ大雑把に記憶しているのはこんなところ(ちょっと大雑把すぎ?)。


[手荷物預かり所の休憩時間をメモ代わりに撮った一枚]

そんな話を思い出しながらLiptonティーバックの紅茶をすすり、「今日はどこいこっかな」とガイドブックと日程表を眺めていた...。

関連リンク:
Wikipedia 深夜特急

アンネ・フランク

アムステルダムに「アンネの日記」の著者であるアンネ・フランクが第二次大戦中に住んでいた家というのが博物館となって残っている。まさに日記を書いていたのがこの家なのだが、俺がここを訪ねたのは彼女に興味があったからというわけではなかった。この本がどんな内容か位は知っていても読んだことはなく、彼女の顔さえ知らなかった。


[アンネん家]

アムステルダムと言えば北のベニスと呼ばれる運河の街(まぁ何とかのベニスってのは日本の何たらの銀座と同じ位あちこちにあるけど)で、運河沿いには趣のある建物が並び立ち、地盤が弱いのか傾いているものも多々あって、それがまた独特の雰囲気を作り出している。そんな建物の中身はどうなっているのか、そんな興味を手っ取り早く解決しようと言うのが「アンネの家」を訪ねた動機だった。

「アンネの家」はそんな俺の想いをある意味裏切ったわけだが、ユダヤ人迫害から逃れるために身をひそめた隠し部屋や、彼女のポートレイトなどを見ているうちに俄然興味が湧いてくる。出口のブックストアに日本語の「アンネの日記」を見付け読んでみたいと一度は手に取ったが、日本に帰ってから買えばいいやということでこの時は結局買わなかった。

帰国後「アンネの日記完全版(文春文庫)」を読み、日記を書かなく(書けなく)なってから亡くなるまでの彼女を知る6人による証言集である「アンネ・フランク最後の七ヵ月(徳間書店)」を読み、そんなこんなでアウシュヴィッツまで足を運んでしまった。

そのときの俺は6ヵ月間の初めての一人旅の道中だった。この旅の目的(というほどのものでもないが)は、「できるだけ自分の興味とか、好き嫌いとかをとっぱらって、いろんな物を見て、いろんな体験をしてみよーか」というものだった。そんな中で拾ったものの一つだ。

今週この「アンネの家」の横にあるクリの木が伐採されるというニュースがあってそんなことを思い出した。

関連リンク:
gooニュース「アンネの木、撤去へ アムステルダム」(14日共同)
From VALVANE「アンネ・フランクの栗の木が切り倒されることに」
Wikipedia アンネ・フランク

パリ休憩中...。(No.021)


やややっ、縮んだ...。(^ ^;
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女の子の不安な夜

この夜はふたたび、夜行列車23:55発赤い矢号(001)に乗ってモスクワに戻る。コンパートメントに行くと中には、いかにもベタベタしそうな若いカップルと大人しそうな日本人の若い女の子がいた。カップルの女の方が「あなた英語しゃべれる?」と聞いて来たので、俺は「少しだけね」といつもの決まり文句を返していた。隣はなにやら賑やかだと思っていたら日本人の女の子で埋まっている。どうやらこの日本人の女の子は5人組で、コンパートメントは定員4人なので溢れた一人が俺と同じコンパートメントに割り振られたらしい。はたまたじゃんけんで負けたのかもしれないが、車掌が気を回して同じ日本人である俺を同じコンパートメントに割り振ったのかもしれない。


[サンクト・ペテルブルグにあるモスクワ駅]

一応二日前に一度乗っている俺はいろいろ知っていたので、座席の倒し方とか、電子ロックの開閉とか、車掌室に行けばお湯が貰えるとか教えてあげると、その子はただちに隣へ行ってそれを他の子達に報告するといったことが、繰り返された。ひと段落しさぁ寝ようかという頃、女の子も隣と行き来するのをやめてベッドに上がった。この女の子、人見知りのはげしい感じで話しかけてもなんだかそっけない答えが返ってくるばかり。旅慣れた感じも無く、これからこの4人で一晩と思うと不安と緊張でどうにも落ち着かないといった様子が見て取れた。まぁ、俺だって同じ日本人とは言え見ず知らずの男だしなぁ...。

でも、俺がカップルと他愛も無い話をしているのを横で聞いていて、多少引きつった感じだが笑顔を見せていたので、英語がまったくわからないわけではないのだろう。多分こんな状況を楽しみたいという気持ちはあるようだが、自分から話すというところまでは行っていないようだった。こればっかりはなかなか難しいもので、特に友達と一緒となるとどうしてもお友達とばかり話してしまうものだ。少ない会話の中で分かったことは、彼女達は学生ボランティアでロシアに来ているらしい。なるほどそれなら俺よりも自由にこの国を見てまわれるのかもしれないし、俺よりも英語を勉強していることだろう。

俺ともう少し話し込んでリラックスすることができれば、カップルとも自然と話せるようになったかもしれないが、俺はとにかくもう疲れていた。で、見捨てるようにとっとと就寝(すまん)。翌朝モスクワ到着30分前に目を覚ますと、隣と行き来する彼女がいた...。

おめでとうございます

今日は、某先輩の結婚式にお呼ばれして宇都宮まで行ってきた。
東京からMAXやまびこに乗ったのだが予想以上に混んでいて、指定席は満席。みんな紅葉でも見に行くのだろうか。朝から雨だけど...。もともと自由席で行くつもりだった俺だが、これは座れないかなと思っていたら座れた。よかったよかった。

俺は無謀にも出された料理を完食し、式後はしばらく動けず。3時間のインターバルを置いてのイタリアンレストランでの2次会はさすがに少々おさえ気味だったが、帰りの新幹線の中で焼餃子をつまみ、家に着いてからお茶漬けをいただいた。こうやって書き並べてみると今日は食べ過ぎだな。

式は人前式で、そのまま披露宴となったわけだが、最初に挨拶に出て来た年配の方が挨拶で”じんめんしき”と言っていた。年配の方にはまだまだなじみが無いのだろうから仕方ないんだけど、”じんめんしき”ってやっぱり”人面式”だろうかと思うと笑ってしまうわけだ。その場は皆さらっと聞き流したように見えたが、2次会の司会者にすっかりネタにされ、大ウケしていた。帰りの新幹線でその年配の方を目撃。思わず「あのひと”じんめんしき”の人だよね」、「あっ、本当だ、”じんめんしき”の人だ」なんて会話が...。(すみません)



デジカメ持って行かなかったので、お土産に買って来た餃子です。(冷凍生)
考えてみれば礼服を着た男がぞろぞろと宇都宮駅のパテオを闊歩して餃子を買ってるってのも、地元の人にとっては妙な光景だったかな。(笑)

せかされました

イサク聖堂の展望台でぼんやりした(しすぎた?)後、郊外へ足をのばす。まずは、噴水が人気のペテルゴーフへ。エルミタージュ美術館裏の船着場から高速艇に飛び乗る。ちょっとしたネヴァ川クルーズといった感じでいいのだが、むちゃくちゃ高いので帰りはバスと地下鉄にしようと堅く決心する。
この日は月曜日で大宮殿には入れない(休館日)ものの、広ーい庭を隅々まで散歩。奥にあるマルリ宮殿前では時代劇(テレビドラマ?)の撮影をやっていてしばしやじ馬。なんてことをやっていたらあっという間に時間がたってしまった(これで大宮殿に入れてたらどうなってたんだ...)。


[ペテルゴーフ]

で、バスと地下鉄を乗り継いで琥珀の間が人気のエカテリーナ宮殿(ツァールスコエ・セロー)へ向かう。最終入場時間の17:00には間に合いそうもないが、日没はずっと遅いので庭を散歩して建物が見れればいいだろうと思っていた。バスの運転手に促されておりたのが16:45。庭の入り口ではチケット売りのおばちゃんとチケットモギのおばちゃんが談笑していた。のんびりと登場した俺を見つけたチケットモギのおばちゃんは突然大声を出す。「あんた急がないと閉まっちゃうわよ!速くしなさい!」(ロシア語)とでも言っているようだ。


[琥珀の間]

いや、別にだめならだめでいいんですけどと思いながら、チケットを購入(これは庭に入るための入園料)。チケット売りのおばちゃんはおっとりタイプでもたついていると、チケットモギのおばちゃんが「あんた速くしてあげなさいよ」(ロシア語)とでも言っていらいらしているようだ。チケットを受け取ったそばから「速く速く」(ロシア語)とお尻を蹴られそうな勢いで急かされ、しかたなく走る俺。広い庭を走ること5分。なんとかエカテリーナ宮殿の入館チケットを購入。


[エカテリーナ宮殿]

が、俺が最後の入場者。各部屋の出入り口は奥の部屋までずっと一直線に繋がっていて、それぞれの入り口には監視のおばちゃんが立っている。全員が全員「あら、まだ客が来るは」と言った感じでこっちを覗き込んでいて、「はやく帰りたいのよね」と言う雰囲気が否応無しに伝わってくる。ひとつ部屋を見終わって次の部屋に移るとすぐに、背後でドアが閉められ鍵がかけられる。これがまた「カチャ」っといい音が響き渡るので、なんだかこのまま奥の部屋に追いやられて閉め出されるんじゃないかと思うくらい。途中ガイドを連れた数人の団体を追い抜く。「ほら、あんたが出てけば私は帰れるのよ」とでも言いたげなおばちゃんの視線から解放され、落ち着きを取り戻す俺。でもこの団体さんに抜かれないように気をつけてたけど...。

パリ散策中...。(No.020)


「パリに巨大ウサギ!モンマルトルの丘から多くの観光客が目撃!」(11/6ロイクー)
すっ、snufkin...。(- -;
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どんき

先週の土曜日はレポートの締め切り直前だと言うのに、この男はいったい何をしていたのだろうか。
まずは、期間限定逆単身赴任中のかるろす氏に誘われてまたまたJリーグ観戦。今回は川崎vs京都(@等々力競技場)。観戦後かるろす氏と別れて友人と連絡をとり、待ち合わせの銀座へ。


[また買っちゃった...。]

この友人、韓流ブームとは縁のなさそうな風貌をした韓国人だ。彼とは8年前にバンクーバーで知り合った。当時まだ就職浪人だった彼は、俺の「日本人嫌いか?」という質問に「日本も、日本人も好きだが、日本政府は嫌いだ」と言っていた。こんな質問を面と向かってする俺も俺だが、他の韓国人があたりさわりのない答えをするなか、この男だけはなにか違っていた。その後俺は韓国の彼の家に遊びにいったこともあったし、また彼も日本に遊びに来た時には連絡をくれた。

金曜の夜、人伝てに彼が仕事で日本に来ることを知っていた俺のもとに連絡がはいった。銀座松屋のルイヴィトン前で俺を待っていた彼は、相変わらず中途半端に上手な日本語と英語のミックスで話をしてくる。今回3年ぶりの再会となった彼は、韓国の新聞社に勤めるようになっており、日本の新聞社を視察して回っていたようだ。

彼は銀座の街をぶらぶらしながら、日本最後の夜に何を食べようかと悩んでいた。スキヤキを見つけた彼は目を輝かせたが、「高い」と言って他を探しだす。お腹を空かしている割に根気のある彼だったが、最後には妥協した感じで蕎麦屋に入ろうとする。そんな姿を見て俺は無理矢理彼をスキヤキ屋に押し込んだ。


[日本語は少し下手になったかな...。]

昔話に花が咲いてひと段落した頃、今回日本で何をしていたかを聞く中で、彼は仕事の合間に靖国神社に行って来たと言う。そんな流れで話は自然と北朝鮮の話だったり、太陽政策の話だったり、靖国参拝の話だったり、終いには東京裁判やらサンフランシスコ条約の話まで飛び出す。彼の話にはちょっとそれは違うという部分もあるのだが、国も違えば立場も違い、ましてや報道にたずさわる彼の意見は俺にとって新鮮だったし興味深く聞くことができた。彼にしても、日本の一般市民である俺の言うことに熱心に耳を傾けることができたようだ。

その後彼の買い物につき合って、新橋のスーパーに入り寝る前の缶ビールやらつまみやら次の日の朝食やら、どいうわけか安売りのインスタントコーヒーの特大ボトルやらを買い込む。その後鞄が欲しいと行ってドンキホーテに入ったが、あーでもないこーでもないと言った挙げ句何も買わずに出て来た。彼と別れて電車に乗ってしばらくしたころ携帯の振動に気付く。彼のレンタル携帯の番号が表示されていたが、まだ電車の中ということで出なかった。

彼もまた旅好きであちこちに行っているし、日本も初めてではないので道に迷ってホテルに戻れないなんてことはないと思うのだが、何かトラブルに巻き込まれているとまずいと思い電車を降りてすぐにかけ直すと、彼は既にホテルに戻っていて缶ビールを片手にしているようだった。「何か問題でも?」という問いに彼は「いや、何も無い」と言った後こうつづけた。

「Toshiki、ドンキホーテって何時に開くんだ?」

どうやら特大インスタントコーヒーが入りきらず、やっぱり鞄を買おうと思ったらしい...。

怒られました

サンクトペテルブルグ2日目の朝イサク聖堂へ。高さ101.5mという大きな聖堂の北側でチケットを購入したものの、北側はどうやら出口。てくてくと南側まで回り込んでやっと入口を発見。中を見て回り北側へ出るが、展望台への入り口は南側なので高い所大好きな俺は再びてくてくと南側回り込む。上り口は自動改札のようになっているのだが、チケットが入らない。傍らにいたおじちゃんがチケットを見て「ここは別料金だからこのチケットでは入れない」(ロシア語)なんてことを言っているようだ。


[イサク聖堂のドームを見上げる]

おじちゃんがすぐ横にあるチケット売り場を指差すのでそこへ行ってみるが、ブラインドが下がっている。中で女性が何か言っているようだが、ロシア語なんて分かるはずもなく、コツコツとガラスをノックしてみる。と、突然ガラッとブラインドが上がり、おばちゃんが怒っている。「今休憩中なのよ!!!」(ロシア語)なんてことを言っているようだ。遠巻きにそれを見ていたおじちゃんは申し訳なさそうに北側を指差す。おばちゃんの怒鳴り声はおじちゃんにも聞こえたようだ。「いいんだよおじちゃん」(日本語)と言って、てくてくと北側へ行って展望台のチケットを購入。なんだってこんな行ったり来たりしなきゃならないんだと思いながら再び南側へ戻って来た俺を、おじちゃんは優しい笑顔で迎えてくれたのだった...。


[展望台から]

これを皮切りに俺はこの後何度か怒鳴られることになる。しかもなぜか女性ばかりで、突発的に頭に血が上ったような怒り方をする。こんなことでいちいち腹を立てたり、凹んだりする俺ではないし、ロシア語で怒られても馬の耳に念仏状態。それにしても何か理由があるような気がする。はて、これはいったい...。

おわったー



俺の会社には昇格条件の中に通信教育の修了というのがある。各等級毎にこれを受けなければならないのだが、今年の春昇格したばかりの俺のところに、早速次の昇格のために「これを受けろ」とのお達しがやってきた。で、その締め切りが10/31必着(当日消印は無効)。
春に送られて来たテキストはそのまま会社に未開封のまま置いてあった。そろそろと思って家に持ち帰ったのは、すでに10月に入ってから。テキストが6冊、一冊に一部のレポートを提出しなければならない。そのころから教育担当から度々電話が入りだす。

「××さんだけなのよ、一部も提出してないの」

その後もなかなかやる気にならず、10月最後の週末を迎えた。その時点でやっていたのはまだ1.5部。土曜日は遊びに行ってしまい、夜は疲れて寝た。日曜日、なんとかやりはじめる。で、終わったのは10/30月曜日の夜。23:30に最寄りの郵便局の24時間窓口に行くと速達でももう間に合わないことを窓口のお兄さんに優しく教えれらる。俺としたことがなんたる世間知らず...。
さて、どうしたものか。せっかくやったのに無駄になってしまうのか。宛先は多摩郵便局止。

「郵便局止!」

というわけで、多摩センター目指して夜のドライブ。多摩郵便局の夜間窓口に行って無事提出したのだった。

それにしても、最近はほとんど字を書かない生活で、書いても名前とか住所のみだから、こんなに字を書いたのは実に久しぶりで手が痛い...。