結構さぼっちゃったかな

なんか結構さぼっちゃったかなと、このページに書き込む時にいつも気付く。このページもながったらしくなってきたので、そろそろ改ページしないと。それより前に年内にはEastEndの日本語化を終わらせようと思っていたけど危ういか...。
> Eastend のアジア編(Part1)アップしました。

う〜しんど...。

久しぶりの更新だ。という俺も久しぶりに参加した。う〜しんど...。残念ながら今回はメンバーが11人に満たず、大敗を喫してしまった(はて、本当にメンバーが足りなかったせいだろうかという疑問もある)。
最近お子ちゃま連れが多くなったので、U-7チームを作ってみた。11人揃うように妻帯者はもりもり食べて頑張ること。
> Yokohama Skip Steps のページ更新しました。

降って涌いたお金

スペインはマドリッドで強盗に会ったが、その時の保険がおりた。すっかり記憶の彼方にいっていたため、なんだか得した気分だ。限度額いっぱいいっぱいとることができたが、よくよく考えるとまだまだ不十分。盗られたものって俺の中では減価償却がすんでいるものばかりなのでいいんだけど、フィルムとかはやっぱりちょっと悔しいかなぁ。まぁ旅ネタとして活躍したので、それでモトをとったことにしよう。
とりあえず降って涌いたお金をどうしようかと思いにふける今日この頃...。
> Eastend の欧州編(Part2)アップしました。

拉致軟禁

旧友達と有楽町で飲み終電で横浜に戻るも大船に住む友人に拉致され彼の自宅に軟禁。解放されたのは翌日のお昼過ぎだった。昔はよく彼の家に泊まりこんで遊んでたけど久しぶりだったかな。よーく寝たつもりだったけどやっぱり眠い。
> Eastend のアフリカ編アップしました。

健康診断

月曜日に会社で健康診断があった。体重はまあ置いといて、視力がアップしたのには笑った。尿検査も無事パス。その後何も言って来ないとこみるとレントゲンもパスだろう。歯科検診の際に「肝炎にかかったことあります?」と聞かれてドキ。「なんか疑わしいですか?」と聞くと、「いや、書き込む覧があるから聞いてみただけです」とか。後ろに並んでいる事情を知る人は笑いを噛み締めていたようだ。ふん。
> Eastend の欧州編(Part1)アップしました。

Eastend日本語化

ただ日本語にしただけだが、各都市一枚づつ写真をつけたので、ローマ字版で一度読んでいる人でも、もう一度見てやって欲しい。写真は山程あるのだが、可能な限り話しに関係のあるものを選んだ。他の写真は暇をみて載せていこうと思う。
> Eastend のページ日本語にしてみました(とりあえず北米編のみ)。

帰国報告

というわけで日本に戻ってきた。ローマ字で大変読みにくいと評判だったが、世界各地で図書館、インターネットカフェ、YHなどなどでパソコンをかりて 更新してきた。帰国後「いつまでバンコクに居るんだ」というつっこみもあったが、ようやく横浜まで書きおえることができた。「とりあえず日本語にしてくれ」という声もあるが、ただ日本語にしたのではつまらないような気もする。どうしたもんだろう...。
> Eastend のページ更新しました。

Yokohama:Kanagawa:Japan

01/Sep/1999(Wed) - ..........


[あっ、きったねーくつ...]

THE END.
お寿司の駅弁とお茶、雑誌を買い込んで新大阪駅から新幹線ひかり号に乗込んだ。新横浜駅に着いたのが14:00前くらいだった。自宅最寄りの駅前には新しく駅ビルが建っていたりしているものの見慣れた風景だ。Backpackを背負って帰宅。留守中俺の部屋は神戸に住む兄貴が出張にくると使っていたということで、綺麗にかたずいていて、テーブルの上には俺が送りつけた荷物や、留守中に届いた郵便物が積まれていた。
この11ヶ月弱で一つ歳をとり、髪の毛は伸び、真っ黒に日焼けし、12kg体重が減った。小学校6年からずっと寝ているこの部屋、このベッドにまた戻ってきた。
ただいま...。

East End

Kobe:Hyogo:Japan

30/Aug/1999(Mon) - 01/Sep/1999(Wed)


[こてこてな写真]

ゴトン。
着陸の衝撃で目を覚ました。Bangkok 8/29 22:45発のNH952便に乗り、新聞を読みあさって寝付いたのは日本時間の4:30くらいだったろうか。8/30 6:45日本到着。関西空港を上から眺めるのを楽しみにしていたが、すっかり爆睡して見れなかった。なにはともあれ昨年10/10以来の日本だ。
1年ぶりに会う姪っ子、半年ぶりに会うVancouverでの友人、3ヶ月ぶりに会うMoroccoでの友人達。ひとつひとつの再会がこの11ヶ月弱にあったいろいろなことを思い出させる。
日本といえど不馴れな関西だが、すべてが日本語ですむので楽ちんだし、まわりで話している内容がすべて理解できるのが不思議でもある。電車の中で人間観察。友人達とほっけや肉じゃがをつつきながら人間観察。三角広場に座り込んでたこやきをつつきながら人間観察。日本人もなかなか面白いものだ...。

East End

Bangkok:Thailand

23/Aug/1999(Mon) - 29/Aug/1999(Sun)


[Vimanmek Mansion Palaceの下駄箱はすんごい臭いがした]

おいおいそんなにか...。
IndiaではよくNepal人かと聞かれた。NepalではよくTibet人かと聞かれた。なんとここではとうとうThai人扱いだ。
Vimanmek Mansion Palaceに行った。ここではガイドが案内してくれるのだが、入口で言われたのはおそらくこんな内容のことだったのだと思われる。「次のツアーは英語だ。Thai語のツアーは20分後だ。」。 お土産屋に入ると、気持ち悪いくらいに店員が無関心だ。いろいろ見ているとしばらくして何人かと聞かれ、日本人だと答えた。Thai人かと思ったと店員二人に大笑いされた。それからあれこれとお土産を勧めだしたのでうっとうしくなった。
帰国にむかって少しは洋服を買おうとデパートに行った。店員は当然のようにThai語でいろいろ勧めてくれるが馬の耳に念仏状態。試着してもいいかと英語で聞くと、あわてて英語の少し話せる店員を呼びに行った。 観光地とは離れたところをあるいていてコンビニでアイスクリームを買った。店員は値段を言ってくれたようだが、Thai語なのでまったくわからない。わからないことを目でうったえると、耳が聞こえないのかと耳を指差す。英語で「Thai語はわからない」と言うと、少し驚いたようだった。
Thai人ではないことをあかしたときの反応が面白くて、楽しんでいた部分もあったかもしれない。Thai人のみなさん、ごめんなさい。

East End

Calcutta:West Bengal:India

21/Aug/1999(Sat) - 23/Aug/1999(Mon)


[Indiaのタクシー]

Culcutta無事着陸。
時間の都合もあってAsiaに来てから飛行機をよく使っているが、ここらでは着陸と同時に席を立って出口に向かって歩き出すのが一般的のように見える。飛行機が止まってドアが開くとジリジリとつめていき、後ろの人に押されることもよくある。日本の通勤電車なんかもそうだよな~。
俺の少し前にいた欧米人がぶちきれていた。後ろのIndia人に押されたのが気に入らなかったらしい。「押すんじゃない!」。後ろのIndia人は英語が分からないようでキョトンとしている。なんでこいつは怒っているんだといった顔だ。欧米人は「お先にどうぞ!!!」とオーバーアクションを交えて皮肉たっぷりに言っていたが、そのIndia人にとってはなんら失礼なことをしたという意識はないのだろう。
Indiaではこのようにぶちきれている欧米人を結構見た。

East End

Kathmandu:Nepal

20/Aug/1999(Fri) - 21/Aug/1999(Sat)


[刺繍屋のおやじと小憎]

刺繍屋のおやじと小憎。
たまたま路地裏で見付けた刺繍屋のおやじと仲良くなった。小さな店でこのおやじ客引きをするわけでもなくボケーっとただ座っていた。俺はそこで二枚のTシャツを作った。気に入った色のTシャツがなかったので、他の店に行って180NRsと言われた無地のTシャツを買ってきたらそれに刺繍してくれるかと聞くと、俺なら90NRsで同じTシャツを手に入れてやると言って、刺繍込みで一枚200NRsで作ってくれると言う。
そこの小憎と一緒にTシャツの問屋のようなところに行って色を選んで帰ってきた。その後小憎だけがその選んだTシャツを買いに行った。こうすることで真っ当な値段で買うことができると言う。この小憎英語がわからないせいもあってか、まったく不愛想でニコリともしない。おやじの子供かと思っていたら、「俺の子供はもっと小さくて、もっとカッコイイ」とか。
Tシャツができて受け取った後も暇ができると遊びに行ってチャイを御馳走になりながら話し込んだり。時々おやじは「もう一枚作らねーか?」と言うが、決していやらしいものではなかった。
Kathmandu最後の日の朝、おやじにお別れを言いに行くと、「もう一枚作りに来たのか?」と言う。首を振りながら「今日で最後だからお別れに来たんだ。」と言って小憎にいよいよ不要になったトレーナーをあげた。小憎はやっぱりニコリともせずそそくさとそれをしまいこんだ。

East End

Nagarkot:Nepal

19/Aug/1999(Thu) - 20/Aug/1999(Fri)


[なんか全然写ってないや。ちぇ...]

OH, HIMALAYA MOUNTAINS.
朝一番でKathmanduの宿に荷物を預けて出かけ、Bhaktapurの古い町並みを見た後、Nagarkotへ行った。ここは標高2100mでヒマラヤの展望台と言われている。が、雨期のため空には雲が...。
まあそんなのは覚悟の上。Pokharaでも結局よく見れなかった。ただ、運が良ければ日の出頃のまだ雲が上にあがらない時間に見える日があるとのことだった。見晴しのいい部屋をとって朝にそなえる。夜は結構冷え込むうえ、水シャワーしか出ないので体はすっかり冷えてしまった。Pokharaのおばちゃんが唯一興味を示さなかったトレーナーを着込んでしのぐ。おばちゃんありがとう。
さて朝だ。5:30頃起きて窓から外を見ると空は真っ白け。う~ダメか...。うとうとしながら見ていると6:00頃突然雲の切れ間からヒマラヤが姿を現わした。テラスに出て30分くらい見入っていただろうか。再びヒマラヤは雲に隠れてしまった。
満喫したとは言い難いが、「乾期にもう一度来なければ」と思わせるには十分だった。

East End

Kathmandu:Nepal

16/Aug/1999(Mon) - 19/Aug/1999(Thu)


[案内して貰ったDurbar Square]

Durbar Squareのインチキガイドと嘘つき合戦。
Durbar SquareのMaju Devalの上に座り込んで一服していると、Nepal人の学生だという若者が話し掛けてきた。ひとしきり話がおわると「どこどこは行ったか、まだなら案内してやる」と言ってきた。なんだこいつガイドか。この手の奴は親切そうにいろいろ案内してくれて別れるときにお金を要求してくる。俺は気付いていないふりをして案内してもらうことに。50NRsくらいなら払ってもいいと思っていた。
Durbar Square周辺の見所を1時間くらい案内してもらっただろうか。さてお別れのとき。案の定奴は150NRsを要求してきた。そんなの払えないと言って歩き出すと、卑怯者呼ばわりされた。「ガイドは俺の仕事だから払ってもらわないと困る。」と言ってきたので「俺は日本語の先生をしている。お前には日本語を教えてやったから200NRs払え」と。
奴は捨て台詞を吐いたものの、意外にあっさりと去っていった。お~い、50NRsなら払う気あるぞ~...。

East End

Pokhara:Nepal

13/Aug/1999(Fri) - 16/Aug/1999(Mon)


[Pokharaの子供達の登校風景]

Tibet人の行商のおばちゃんと物々交換。
カバンの奥底に眠っていたフリース、トレーナー、手袋、乾電池を持って表に。ここらはリュックにアクセサリ等のお土産をつめて行商しているTibet人のおばちゃんが多い。道端でそれをひろげている。適当なおばちゃんの横に座り込む。
適当なものを指差して交渉開始。まず値段を聞くと500NRsというが、俺の見立てでは50NRsがいいとこ。といっても俺はどのみち捨てて荷物を軽くしようと思っているので何でもいいといえば何でもいいのだが、それじゃつまらない。交換を申し出ると「何持ってんだ?」と興味を示してきた。日本製の物はなんでも品質が良いと思われていて結構喜ばれる。おばちゃんはフリースと乾電池と手袋を子供のために欲しいと言ったが、俺のフリースはMade in U.S.A.だった。しかしおばちゃんはそんな細かいところまでチェックしない。日本人が持っていれば日本製だと思っているようだ。アクセサリひとつとそれらを取り替えてやると言うが、どれかひとつにしてくれと言うと、これもこれも付けるからと言っていろいろ出してくれる。このおばちゃんよっぽど欲しいらしく、ひとつまたひとつと増やしていく。でも俺ははじめのひとつしか気に入っていなかったので、そんなのいらないと突き放す。とうとうおばちゃんは好きなの選べと全てをひろげた。が、やっぱり俺は気に入ったのが見つけられなかった。おばちゃんはしぶしぶフリースを選んで物々交換成立。
日本で買った3000円のフリースで、3年間(特に今年)着込んだボロボロのフリースはアクセサリに変わった。

East End

Raxaul:Bihar:India

12/Aug/1999(Thu) - 13/Aug/1999(Fri)


[India側のイミグレーション]

国境越えの話しでも...。
早朝にBuddha Gayaを出てPatnaでバスを乗り換え、Nepalとの国境の街Raxaulについたのは18:30くらいだった。そのまま国境を越えて夜行バスに乗れれば翌朝にはPokharaに到着できるつもりだった。しかし、停電で真っ暗になったIndia側のイミグレーションのおやじが言うには、19:00でNepal側のイミグレーションが閉るので今日はもうダメだと言う。時計は18:45でまだ間に合うじゃないかと言うと、時差が15分あるからもうダメだと言う。ごもっともです。仕方なくそこに宿をとる。
翌朝一番で国境越え。まずIndia側イミグレーションで出国手続き。そこから少し歩くと税関があって、形ばかりの質問があってほとんど素通り。で、歩いて国境を越える。「Welcome to Nepal」の看板が見える。が、 どこが国境かよく分からないままNepal側イミグレーション。ここで写真一枚とUS$30を払ってVISAを発行してもらい、入国手続き。そこから少し歩くとNepal側税関があってここもほとんど素通り。晴れてNepal入国。小さな銀行があって、両替えできるようになっている。俺は多少Nepalルピーを持っていたのでそこでは両替えしないで素通り。
そんな感じでした。

Asia (Part2)

Buddha Gaya:Bihar:India

10/Aug/1999(Tue) - 12/Aug/1999(Thu)


[二軒目の宿のオーナーの孫とじじい。チャパティを御馳走になった]

正確に言うとVaranasiから電車でGayaに着いたのが夜遅く、Buddha Gaya行きのバスが終わっていたためGayaに一泊して、翌朝バスでBuddha Gaya入りした。
客引きについて行ってあっさり宿を決めた。部屋に荷物を置いて早速観光。狭いところなので一日あれば十分だ。観光を終えて宿に戻ったが、客引きの嘘が度を越していたため、宿を変更することに。翌日の早朝に乗るツーリストバスの発着場所のそばに宿をとったつもりだったのだが、チケットを手配したところ客引きの言ったことはまったくのデタラメだったのだ。多少喧嘩腰で文句を言って一銭も払わずに宿を出た。が、雨がまた降ってきた。適当な店に入ってチャイをすすりながら雨宿り。暇そうなじじいや子供と雑談する。雨が降ってくるとだいたいそんなことをしている。そのうちに雨はだいたい止んでしまう。そんな時間が結構好きだった。
じじいがしきりにタバコを勧めてくれるので、一本また一本と貰う。自分で持っていないわけではないが、出すにだせない状況だった。じじいが美味しそうに吸って、得意気に俺にくれるタバコはIndia人タバコで十本5Rsくらいのものだった。俺が持っているマルボロライトはここでは超贅沢品で二十本60Rs。
じじいの嬉しそうな顔を見ていると、それを出して吸う気にはなれなかった...。

Asia (Part2)

Varanasi:Uttar Pradesh:India

08/Aug/1999(Sun) - 10/Aug/1999(Tue)


[ガンガーの沐浴風景]

もうドミトリに泊まることはないと思っていた。そこまで節約しなくてもと...。
ここVaranasiはヒンドゥー教の聖地で日本人にはBenaresと書いたほうがピンとくるかもしれない。ここでは聖なる川ガンガーで沐浴する人を見たり、日の出を見たり、火葬場を見たりすることくらいしかない。のんびりまったりと川を眺めたかった。
バックパッカーに有名なガンガーに面した安宿があって、そこのテラスからの眺めはすばらしいと聞いていた。夜行電車に乗って早朝に着いた俺は真先にその宿を目指した。が、満室。その宿のテラスから日の出だけ見て他の宿に泊まることにした。翌朝、お目当ての宿に泊まっている日本人から、今日なら空きができると言う情報を入手し、移ることに。
空いたのはドミトリ。ベッドが10くらい並んでいるだろうか。その部屋は日本人ばかりだったが、テラスでは外人も含めて、皆まったりとガンガーを眺めている。観光ボートが行き交い、子供やバッファローの死体が流れてきたり。その上にカラスがとまって突いていたりする。あいにくの天気で結局日の出らしい日の出が見れたのはVaranasiに到着した朝のみだったが十分にまったりした。
ドミトリ一泊35Rs(約100円)。もうこれ以上安い宿に泊まることはないだろう...。

Asia (Part2)

Khajuraho:Madhya Pradesh:India

05/Aug/1999(Thu) - 07/Aug/1999(Sat)


[正直者のお土産屋のオーナー]

少々退屈気味だったので、お土産屋と遊ぶことに。
屋台のお土産屋でキーホルダを買う。当初50Rsと言っていたが、俺の見立てでは20Rsが無難なせんだろう。約1時間の交渉の末25Rsで手を打った。
ここで内緒にしてやるから、本当の値段を教えろ、と言ってみたがなかなか白状しない。そんなやりとりを道端に座り込んでしていると、別のお土産屋のオーナーだと言う男が声をかけてきた。 こいつはおかしな奴で何でも正直に話してくれる(多分)。そいつの話によると、コストは10Rsで通常販売価格は15Rsだと言う。しかしそれはオーナーであるそいつが売った場合。俺が買った屋台の連中はただの遣いっ走り。連中は給料を貰っていて、15Rsで売っても得にも損にもならないそうだ。連中は客からボッた分はそのまま懐に入れることができる。つまり連中から買う場合は20Rsが無難なせんだろうと言う。India人ビジネスおそるべし。そんな話をしながらチャイを御馳走になったり、ヒンドゥーのお寺のお祈りの時間に連れて行ってもらったりよくしてもらった。
India人のいいやつに巡り会うのは大変だ...。

Asia (Part2)

Agra:Uttar Pradesh:India

03/Aug/1999(Tue) - 05/Aug/1999(Thu)


[あ~、もし俺がお金持ちだったらVanabdiに何でも買ってあげられるのに...]

郊外にあるFatehpur SikriのJama Masjidでの話し。
雨期といいつつもちっとも降らないと思っていたらとうとう強烈な雨が降ってきた。 回廊に腰を下ろして止むのを待つ。広場では子供が服を脱いで水遊び状態。
子供が寄ってきて2Rsのお菓子を買わないかと言う。いらないとか言うと、ペンをくれないかと言う。最初は素っ気ない応対をしていたが、雨は長引きそうなので付き合うことに。彼女の名前はVanabdiと言った。6歳くらいだろうか。
V:「ペンくれない?」
T:「30Rsで売ってやる。」
V:「その帽子ちょうだい?」
T:「これは500Rsだ。」
彼女にとっては500などという英語は普段必要ないもので、理解できていないようだった。おそらく10まで知っていれば十分なのだろう。 遊んでもらったお礼に、紙の切れ端で鶴を折ってやった。このころになると大分子供が集まってきていた。他の子供も俺にも、私にも作ってくれとうるさい。三つくらい折った頃には大人も含めて20人くらいの人だかりになってしまった。警備員が日本人がIndia人に囲まれて困っている、と勘違いして人払いにきてしまったり。
Vanabdiは鶴を見てとてもうれしそうにしている。 なんだかんだ言っても子供だなとか思っていると、Vanabdiが俺の顔を見上げてこう言った。
「Toshi、これを2Rsで売ればいいのよ。」

Asia (Part2)

Jaipul:Rajasthan:India

02/Aug/1999(Mon)


[左からBとAとC]

Delhiから夜行寝台に乗ってJaipulへ行く時の話。
同じコンパートメントには学生の男(A)とアクセサリを扱うビジネスマン(B)と英語のまったくしゃべれない男(C)。AとBは英語が話せるのでいろいろ聞いてくる。Cは退屈そうにこっちを見ているだけだ。
話しが一段落して、Aが新聞を読みはじめた。U.S.A.の圧力についてブツブツ言っている。
A:「連中は我々の核兵器を恐れているのだ。」
日本人としてはそりゃ~当然だという話をすると、
A:「50年も前の話をするな。」
B:「これからIndiaは強くなるぞ。」
そういって拳を見せてニッコリ笑った。
インテリの部類に入ると思われるIndia人の極一市民の生の声に驚きを隠せずにはいられなかった。

Asia (Part2)

Delhi:Delhi:India

30/Jul/1999(Fri) - 01/Aug/1999(Sun)


[Main Bazarの雑踏]

明るいうちにDelhiに到着。エアポートバスに乗ってNew Delhi駅へ。ここではバックパッカーがたまるMain Bazarに宿をとる。モスクの一部にあるその部屋は、コンクリートむき出しの壁、天井、床。ベッドが一つあるだけでシャワー共同。シーツも湿った感じがして、天井には大きなファンがまわっている。蒸し暑くて夜には蚊が飛び回る。表では雨でぬかるんだ道を人、牛、リキシャ、車が所狭しと行き交う。土産物屋に気をとられると牛の糞を踏んずけたりする。
一泊80Rs(約230円)。こんな状況に身を置くことがおかしくて愉快だったりする。
エアポートから宿を探してチェックインするまで、いろんな奴が声をかけてきた。第二のあこがれの地、Indiaまでやってきた。

Asia (Part2)

Karachi:Pakistan

28/Jul/1999(Wed) - 30/Jul/1999(Fri)


[街中のロータリー交差点]

これもVisa待ちの副産物と言えよう。
India Visa発行からすぐにDelhi行きのチケットを手配。最も安いのよりUS$35高いがPIAで行くのが一番早くIndia入りできることを知りそれをとった。ところが、そいつはここKarachiでトランジット、2泊分のベッドと食事が付いて来たのだ。Pakistanは通常トランジットでもVisaが必要なので、ホテルに缶詰めかと思っていた。一応ホテルで出かけてもいいか聞いてみると「問題ない」。パスポートを空港に預けているので問題ないと言うのだ。これ幸いと出かけた。
この街はPakistanでは大都会だが、あまり観光客はこない。皆トランジットする客が1日2日いるだけだ。街にはサイケデリックなミニバスがところせましと走り回り、牛とかも歩いている。Bazarは庶民の日常的なもので活気があって面白く、ついついうろうろ。日が暮れて屋台に明かりがともる頃まで歩いていた。
Asiaに来たんだということを実感できた街だった。India行きの予行演習としては大変よかった。

Asia (Part1)

Istanbul:Turkey

19/Jul/1999(Mon) - 28/Jul/1999(Wed)


[これも副産物、無料ベリーダンスショー]

IndiaのVisa取得ですっかり長居してしまった。5日もあれば取れると思っていたのが、到着してすぐに申請にいくと7~10日かかると言われ、多少いらついていた。
しかし、ことが思い通りにいかない時には思わぬ副産物があるものだ。7/24にサッカーの試合があることを知り、見ることができた。Fenerbahce vs GalatasarayというTurkeyでは最高とも言える好ゲームだ。何やらカップ戦の決勝とかで、ホーム&アウェイの2試合目。つまり優勝がかかった試合だ。
よく分からずにチケットを買うと思いっきりサポーター席。警備の警官が信じられない程いた。開始前には早速手錠をかけられて連れて行かれるサポーターが...。日本ともEnglandとも違う異様な雰囲気の中試合は始まった。Galatasarayには御存知Hajiがいて、試合開始早々フリーキックを決めたけど、やっぱり往年のきれは無かったかな。途中で交代させられてた。
試合は荒れに荒れて、ペットボトルが雨のように降る中見ていた。1-1で引き分けだが、Galatasarayの優勝だったようだ。

Asia (Part1)

Safranbolu:Turkey

18/Jul/1999(Sun)


[丘の上の公園から]

"I don't like TURKEY"
別にTurkeyが嫌いという話ではない。
ここSafranboluの旧市街は山間にある小さな村で、古きよきTurkeyの町並みが残っていることで有名。丘の上の公園からの眺めは最高だった。夕暮れ時に山間のむらにCamiiからAzarnがひびきわたる。
そんなところで一人浸っていたかというとそうでもない。やっぱりTurkey人はほっといてくれないのだ。ファンタを勧めてくれる女の子がいたり、1グループ去ればまた1グループが寄って来る。
最後に話した高校生二人組は英語の学校に通っているだけあって俺よりも英語が堪能。この二人とは結構話せた。何故なら他の人たちは英語が全然しゃべれないから会話が続かなかったのだ。この街のこと、Turkeyのこと、イスラムのこと、日本のこと...。その会話の中で、俺が「Turkey」というと彼等はそれを嫌がった。「Turkey」は「Chicken」みたいで嫌だと言うのだ。「Turkye」と発音してほしいとか。
すっかり暗くなるまで話したので一緒に新市街まで歩いて帰った。お別れの時、彼等はDundolmaと言うお餅のように伸びるTurkeyのアイスクリームを俺におごってくれた。公園での会話で俺がまだ食べていないと言ったのを覚えていてくれたのだ。

Asia (Part1)

Ankara:Turkey

16/Jul/1999(Fri) - 18/Jul/1999(Sun)


[一番左でそっぽ向いてるのがチャイ屋の小憎]

久しぶりに都会に来たと言った感じだ。
旧市街にあるAnkara城を見に行った。ここは他と違って、都会という雰囲気はまるでなく、庶民が生活している。
Ankara城は丘の上にあって、展望台がある。そこからAnkaraの街を見ていると、チャイ屋の小憎が寄って来て「チャイ飲まね~か?」と言う。「いらね~」とか言うとそいつは鼻くそをほじくって俺の膝になすりつけた。このガキ!!!
しばらくすると公園で遊んでいた女の子二人が興味津々に寄って来た。一人は英語が結構話せる。なんだかんだ話しているうちに公園で遊んでいた子供がどんどん集まってくる。写真を撮ってあげると言うと、あたふたと全員整列。撮り終わると、送ってくれと住所を書いてくれた。しかし到底解読できるような綺麗な文字ではないので、送ってあげられそうもない。残念だ。
ちなみにその写真の中にはチャイ屋の小憎もちゃっかり入っている。

Asia (Part1)

Cappadocia:Turkey

13/Jul/1999(Tue) - 16/Jul/1999(Fri)


[Ahmet(左)とKursat(右)]

"TESEKUR EDERIM" (THANK YOU)
Cappadociaとは大奇岩地帯のことであり、その中にはいくつかの町や村がある。俺はGoremeという村で岩窟をそのまま部屋にした見晴しのいい宿を2,000,000TL(600円)でとった。客は俺ともう一人だけ。
今Turkeyの子供は夏休み。宿のオーナーの息子と、その友達が働いていた。彼等の名前はAhmetとKursatと言う。彼等は二人とも15歳だ。夜俺は宿のテラスでぽつぽつと明かりがともる村の夜景を見ていた。オーナーがどこかへ出かけて行くと、突然Kursatが俺にタバコをくれる。すかさず英語を少しだけしゃべれるAhmetが「おやじには内緒だぞ」と言って来た。なんともかわいいものだ。その後はいろいろしゃべったり、Turkey語を教えてもらったり、Turkeyの楽器Sazの弾き方を教えてもらったりした。彼等はチャイ(お茶)やひまわりの種を持って来てくれる。
すっかり仲良くなって、俺が宿に戻ると部屋に遊びに来てタバコを吸わせてくれと言う。そしてタバコを吸いながらTurkey語を教えてもらう。チェックアウトのときに彼等から教えてもらったTurkey語を使って「Tesekur Ederim. Gule Gule.」(Thank you. Bye bye.)と言うととても喜んでくれた。

Asia (Part1)

Pamukkale:Turkey

11/Jul/1999(Sun) - 12/Jul/1999(Mon)


[我慢する気になった夕日]

夜行バスで到着すると、客引き10人くらいに囲まれてしまった。前の街で紹介してもらっておいた宿のおやじを見付けて値段交渉。前の街で泊まった宿のオーナーと友達ということで1,500,000TL(450円)でバス/トイレ付きのシングルルームが与えられた。宿代最安値を更新。
ここは石灰を多く含む温泉が湧出ており、段々畑のように石灰が固まっていてプールのようになっているのが有名。しか~し!!!来てみてがっかり。近年高級ホテルの開発がすすみ、温泉がホテルにとられてしまっているとのこと。肝心のところには部分的にしか流していない。これでは観光客減っちゃうぞ。
それでもうろうろしていると、温泉がたっぷりと流されている場所を見付けた。観光ツアーの人たちが来ないところで、人もまばら。夕日に赤く染まる白い段々畑を見た。これで我慢してやろう。

Asia (Part1)

Efes:Turkey

10/Jul/1999(Sat) - 11/Jul/1999(Sun)


[一番左が親分]

"chin chin"
早朝にSamos島に着いて、そのままフェリーを乗継ぎKusadasへ着いた。Turkeyだ。そこから乗り合いタクシーに乗ってSelcukへ。Efesとは古代都市の名前でそこには街はなく、Efesから2Kmはなれた街がSelcukだ。ここに2,000,000TL(600円)でシングルルームをとった。
ぶらぶらと観光をしてJohannes Kilisesi(聖ヨハネ教会)の前を通りかかると、城壁の上からこっちへ来いと手を振っている。行ってみればそこでは宴会が行われていた。そのなかにはAustralia人二人、Poland人三人もいた。Turkey人はもう入れ代わり立ち変わりでワインを持ってきたり、果物や野菜を持って来たり...。酒の飲めない俺はワインをなめる程度。親分のようなTurkey人のおじさんが「chin chin」と言ってグラスを突き出し乾杯をしようとする。「日本ではこう言うんだろう?」。少なくとも俺の使っている日本語ではそんなことはなかった。誰かが嘘を教えたのか、はたまたどこかローカルなところでは本当にこう言うのか...。
とりあえず「乾杯」というのを教えて、「chin chin」は使わないほうがよいと言っておいた。

Asia (Part1)

Mykonos:Greece

08/Jul/1999(Thu) - 09/Jul/1999(Fri)


[風で前髪が...]

お昼頃この島に着いた。風が強い。そのせいかSantoriniではひとつしか見れなかった風車がここにはいくつもある。客引きのおねえちゃんにいつもこんなに風が強いのかと聞くと、「そうじゃなきゃボイルされちゃうわ」。日本語にすれば「ゆでだこになっちゃうわ」といったところだろうか。
翌日は一日ビーチにいた。ヌーディストビーチとして有名なSuper Paradise Beachに行こうかと思ったが、高台にある俺のとった宿のテラスから真下に見えるSt.Stefanon Beachへ。
昼食にMusaka(茄子と挽肉とチーズの重ね焼き)を食べて、日本を出る時に某先輩から餞別変わりに貰った本を読み返していた。沢木耕太郎の「深夜特急」だ。Asiaを横断してLondonへバスで行くといったお話で、旅行好きの人なら読んだことがあるだろう。ちょうど5巻目を読んでいた。彼がTurkeyからGreeceに渡るあたりだ。ここで俺と彼はスレ違ったことになる。彼もまたMusakaを食べたりしている。ルートは違うもののところどころ同じ街に立ち寄っている。街の様子や食べ物の話が手にとるようにわかり、また違った楽しみ方ができる。
夜中の2:00のフェリーでまた移動した。

Europe (Part2)

Santorini:Greece

06/Jul/1999(Tue) - 08/Jul/1999(Thu)


[こんなチャペルがそこら中に]

夜中に寒くて目を覚ました。寝袋を取り出してまた寝た。再び目を覚ましたのは6:30くらい。空は明るくなりはじめていた。丁度Santorini島の港に入るところ。切り立った崖の上には白い街と風車が見えた。
特に何を見るというわけでもなくFiraやIaの街を歩き回った。目に眩しいくらいの白い街と雲ひとつない空と、蒼い海、遠くには薄紫色に他の島が見えた。想像した通りのエーゲ海の島だった。
午前中歩き回り、午後はビーチへ。熱くなった体を海で冷やす。泳いだり、寝たり、本を読んだり...。夕飯を食べた後はぶらぶらとエーゲ海に沈む夕日を見に...。
そんなことをまる二日間してた。それでいいと思った。

Europe (Part2)

Piras:Greece

05/Jul/1999(Mon)



朝Athensで雑務をすまし、昼頃Pirasに到着。この日の日射しは猛烈で少々バテ気味。安食堂を見付けて御飯をたらふく食べて1,2時間歩いただけで、公園の木陰でひたすら休んだ。ここのハトは異常に痩せてるな~なんて思いつつ...。唇の乾燥をおぼえ、スーパーにリップクリームを買いに。みぶりてぶりで説明すると連れて行かれたのは歯磨き粉のコーナーだった。2度目でなんとか分かって貰えたけど...。
22:00のフェリーに乗込む。安いチケットでは中のデッキには居られないのだが、出航してしまえば入ってもいいことになっている。だが、早々と乗込んでいたので外のデッキから移動するのが面倒になってそのまま寝てしまった。
この日はこんな感じでした。

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Athens:Greece

02/Jul/1999(Fri) - 05/Jul/1999(Mon)


[お疲れのMorgan]

"Where should we go?"
7/1の早朝にNapoliを出て、Brindisiから夜行のフェリーに乗り、IgoumenitsaからバスでAthensに着いたのはすっかり夜だった。バスの中で知り合ったAmerica人の男と一緒に宿探しをした。ダブルの部屋しか空いてなかったため一緒に泊まることになった。ダブルといっても2段ベッドがあるだけの部屋で、一人1600円とGreeceでは少々高めだったが、時間が時間だったのでしょうがない。
彼の名はMorganと言った。翌日の朝Morganと一緒にGreek Coffeeを飲みに行ってMorganがおごってくれた。その後は一緒に市内観光。だが、ひとつ見終わるとMorganは「次は何処行く?」と聞いてくるのだ。あらかた見終わってMorganが「次は何処行く?」と言った時に、俺は丘の上を指差し、「あそこ」と答えた。Lykavitosの丘だ。もちろんAcripolisの丘もよかったがどうしてもあの丘が気になっていたのだ。Morganはかなりまいってしまったようだ。まあ朝から歩き回ってたし...。平然としている俺にMorganは「殺す気か」と言いながら休み休み何とか登った。何かスポーツはしてないのかと聞くと、「昔はやったが今は喫煙者だ」と言ってた。
翌日の朝、Morganは出て行くことになり、一緒に朝のコーヒーを飲みに。前日隣のおやじが飲んでいた砂糖とミルクたっぷりのアイスコーヒーを俺がおごった。
「Good Luck」と言って握手をしてわかれた。

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Napoli:Italy

28/Jun/1999(Mon) - 01/Jul/1999(Thu)


[また何か物色中のSelena(青いDay Pack)]

"Should I buy?"
この日は同じ宿の日本人の女の子二人と一緒に市内観光の後Pompeiに行くことになっていた。朝になってAmerica人の女の子が一緒に行くと言い出し了承。彼女の名前はSelenaと言った。
市内観光中、Selenaは欲しいものが一杯あるらしく、いろいろな店に入って行く。一番欲しいのは、麻のパンツ。そこそこ気に入ったのを見付けて「買ったほうがいいかな?」。みんなで勧めてやっとお買い上げ。ところがしばらく歩くと、3本セットでもっと安くて気に入ったのを見付けてしまった。「買ったほうがいいかな?」。 結局買ってしまい、計4本お買い上げ。その後もお土産のおもちゃやらなにやら買う度に「買ったほうがいいかな?」。
その日の夜、宿に戻って食堂で、他の外人に買ったものを一つづつ取り出して得意気に見せているSelenaがいた。
お別れの時、Selenaは体を一杯に使って投げキッスを連発してくれた。American Comedyに出てくるような明るい女の子だった。

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Roma:Italy

24/Jun/1999(Thu) - 28/Jun/1999(Mon)


[いつからかは知らないがジェラート禁止だそうだ]

髪を切って、Spain広場の階段でジェラートを食べました。うそです。
日曜日にサンピエトロ広場で正午に法皇様がお目見えするというので、この日まで来ていなかった。来年2000年の聖年に向けてRoma中で改築工事が行われていてここも外観は見れなかった。広場の前では法皇様を一目見ようと沢山の人が集まってた。神輿の行列もやってた。この神輿の上には子供が5,6人ぶら下げられていて、天使や悪魔の格好をしている。神輿の揺れで首がぐらんぐらんに揺れてしまっている子もいて大変そうだが、それでもにこやかに愛想を振りまいていた。健気だ...。
法皇様に引き続き、中を見学して博物館へ。最終日曜日ということで無料の日だ。.............が、午前中で閉館だった。とほほ...。仕方なく翌日行きました。
俺のRomaの休日はこんな感じだった。

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Firenze:Italy

22/Jun/1999(Tue) - 24/Jun/1999(Thu)


[傾いてますねぇ...]

夜街をぶらぶらしていて、偶然あるポスターに目が止まった。とあるギャラリーでAndy Warhol展をやっているというもの。
Andyといえば、会社の俺のパソコンの壁紙、愛用のザウルスのオープニング画面に彼の作品を取り込んでいるのを知っている人が少しはいるだろう。
早速次の日の朝一番に行ってみた。今までいろいろな美術館で数点の彼の作品を見て喜んでいたが、数十点まとめて見たのは初めて。お腹一杯と言った感じだ。よくぞあのポスターを見付けた...。Book Storeでいろいろ買いたくなったが荷物になるので我慢我慢。
この日はSienaとPisaをはしごするつもりでいたが、これのおかげですっかり出遅れてしまった。それでもなんとかまわって宿に戻ったのは23:00くらいだったかな。Pisaの斜塔は思ったよりも傾いてました。はい...。

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Venezia:Italy

20/Jun/1999(Sun) - 22/Jun/1999(Tue)


[ Ponte di Rialto]

最近暑くなって来て大分食欲が出て来た。俺は結構昔から夏になると食欲が増して、太る傾向にある。だが、太ったかどうかはわからない。
さて、せっかくItalyだからスパゲッティくらい食べとかねば。日本では外でスパゲッティを食べることなどまずない。なぜなら大の御飯好きだからであって、家でスパゲッティが出てもそれをおかずに御飯を食べるほどだ。 Italyではスパゲッティは前菜のようなもので、レストランでスパゲッティだけを注文するのは失礼にあたるとガイドブックには書いてあった。素直な俺はう~むそうかと言ったところだが、そうすると高くなってしまう。 ここVeneziaではゴンドラに乗るのを我慢したので、その分で思い切って食べようと言う気になった。スパゲッティとMilano風カツレツ、ミックスサラダ、パン...。 レストランに入って食べるなんて結構久しぶりかも。これはツーリストメニューと言って15000Lit(飲み物別)。日本円で1050円くらいかな。
これで思い切ったと言っているようじゃ、日本に帰ってファミリーレストランにも入れない。日本での社会復帰が危ぶまれる今日この頃だ...。

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Milano:Italy

18/Jun/1999(Fri) - 20/Jun/1999(Sun)


[Duomo]

ここで見たいものはLeonardo da Vinciの「最後の晩餐」とDuomoくらいだったので、のんびりと歩き回った。まず朝、「最後の晩餐」を見に行った。既に行列ができていたが、周りの人の話に聞耳をたてていると、どうやら基本的には予約がいるらしい。そして、その合間に予約のない人を入れているというのだ。当然列は全然進まない。とりあえず並んで後ろのAmerica人と世間話しをしていたが、1時間くらいで入れた。 その後も何度かゲートを通り、やっと辿り着く。1度に20人くらいしか見れない。 修復が終わったばかりとかで、見れるようになったばかりだそうだ。さっきのAmerica人に「ユダはどれだ?」とか聞いたり。修復に修復が重ねられ、オリジナルな部分は既に少ないとか。
宿に戻って同室の日本人に話したところ、彼は前日3時間並んだそうだ。どうやら俺はラッキーだったらしい。

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Nice:FRANCE

16/Jun/1999(Wed) - 18/Jun/1999(Fri)


[う~ん、リゾートしてるなぁ]

ここを拠点にMonaco、Eze、Antibesを見てまわった。Cote d'Azurというやつですね。
すっかり顔と腕が真っ黒になって体と足が白いので焼かなくては。Niceのビーチは砂浜ではなく小石だったので、寝てるのは楽じゃなかった。綺麗な地中海を眺め、綺麗なおね~ちゃんを眺め...。我慢すること4,5時間位だったかな。そこそこ焼けたかなというところで泳いでみたりもした。海の水は凄く綺麗で、ああリゾートしてるな~といった感じだった。
宿に戻ってシャワーを浴びて気が着いたことがあった。去年の12月からのばしっぱなしの髪の毛は今耳をすっかり覆い隠し、前髪は口でくわえられるほどになっている。ふと鏡を見ると耳だけ真っ白でした。どっかでまた焼かなくちゃ...。

Europe (Part2)

Barcelona:SPAIN

09/Jun/1999(Wed) - 15/Jun/1999(Tue)


[Ramblas通り]

ここでは、日本人、韓国人専用宿と言うのに泊まりました。なんと一泊1000pts(約800円位かな)。看板もなく悪戯書きのように壁に「民宿」と書いてあるだけ。未登録の違法宿だとかなんだとか...。部屋はマットを敷いただけでみんなで雑魚寝状態。一つのマットに二人以上寝た日も...。トイレ、シャワーは一つしかなく、多い日は20人位泊まっていたので朝は大変だった。
ここの特典はオーナーが韓国人の老夫婦で、注文するとラーメンライスが600pts。思いっきりインスタントだけどキムチなどの小皿が4皿くらいつく。さらに豪華だとビビンパ1000pts(おいおいもう一泊できる)だ。これの大盛り(値段同じ)をたのんだら死ぬ程でてきた。お腹一杯で死にそうになったのは日本を出て初めてだ。

Europe (Part2)

Algeciras:SPAIN

08/Jun/1999(Mon)



朝Tangerからフェリーに乗ってSpainに戻ってきた。夜行でMadridを経由してBarcelonaを目指す。
さて夜まで暇なので、街をぶらぶらしていた。小綺麗な街だが、落ち着いた雰囲気。地図もないので、適当に歩いていたのだが...。若い女の子がタバコをくれと声をかけてきたが断わると、Spain語しゃべれるかと聞く。Noと答えるとFrance語はどうだと聞く。Noと答えると、英語はどうだと聞く。少しだけと答えると、Oh!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!といって踊りだした。そばで見ていた彼女の友達は笑っているが、ほっといて大丈夫なんだろうか...。

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Tanger:MOROCCO

07/Jun/1999(Mon) - 08/Jun/1999(Tue)


[Tangerの港]

MarrakeshからTangerに移動中のバスの中でのこと。隣に座っていたMorocco人は少し英語がしゃべれる。この男はTangerに住んでいて、昨日Rabatoに行って徹夜で仕事をして戻るところだという。とっても眠そうなのだが、どうしても寝たくないらしく、頑張って起きている。その暇つぶしに俺と話そうというわけだ。だがこいつなかなかいい奴で、休憩時間にお茶を御馳走してくれたり...。Tangerに着いたのは真っ暗になった22:00位。そいつはほっとしていたようで、にこにこと手を振って別れたが、俺は宿を探さねば...。

Africa

Marrakesh:MOROCCO

06/Jun/1999(Sun) - 07/Jun/1999(Mon)


[Funa広場でやってもらったヘンナ]

Barcelonaに向かって大移動中。
この日は、夕方着いてInternet CafeでHPの更新をして、洗濯をした後、砂漠での疲れと移動の疲れがでたのか、夕飯もとらずに爆睡してしまった。翌日は朝のバスに乗ってまた移動だったので、特に書くこともなかったような気がする。う~む、HPの更新も溜めると記憶が...。このところ移動が多いのでまるで日記のようだ。

Africa

Ouarzazate:MOROCCO

05/Jun/1999(Sat) - 06/Jun/1999(Sun)


[M'HamidからOuarzazateに向かうバスの窓から]

砂漠から帰ってそのままバスに乗ってきた。着いたのは22:00位。バスは街のはずれに着いてしまった。
ホテルのレセプションにいた若者は少し英語が話せるので世間話を少々。Moroccoに来て「Nakata!」と声をかけられることが非常に多い。中田はそんなにMoroccoで有名なのかと聞くと、「彼のプレイはすばらしい」、「彼はアジアNo.1だ」などとべた褒め状態。サッカーファンなら大抵中田を知っているとのことだ。ちなみに他の日本人プレイヤーを知ってるかと聞くと、「日本人の名前は覚えるのが難しい」と言っていた。ようは知らないということだろう。中田の名前はEuropeに留まらず、ここまで広まっていた。

Africa

Sahara:MOROCCO

04/Jun/1999(Fri) - 05/Jun/1999(Sat)


[Sahara砂漠に御満悦の俺]

Saharaって街の名前じゃないんだけど...。
Sahara砂漠に一晩泊まったので一応書きましょう。M'Hamidからのツアーで四駆の車に乗ってBig Saharaに行った。ツアーに参加したのは俺とバスで一緒だった女の子3人組み。ガイドのIshiは25歳で気のいい奴だ。夜はIshiの作ったTagine(肉と野菜の煮込み料理)を食べた。蠍も出て来て大騒ぎ。テントも張らず、毛布とマットだけで寝るというのに...。 砂漠の夜空には星がよく見え、満天の星空のもとでする立小便は気分爽快そのものだった。
翌日日の出を見て、M'Hamidまで戻る。あと10km位のところでラクダに乗り換え、2時間くらい。最初はみなはしゃいでいたが、だんだん無口に。聞こえるのはラクダの足音と水筒のちゃぷちゃぷという音だけ。暑さもたまらないが、おしりが痛かった...。

Africa

M'Hamid:MOROCCO

03/Jun/1999(Thu) - 04/Jun/1999(Fri)


[勝手にフレームインしてきてポーズをとるM'Hamidの子供達]

MarrakeshからZagoraに行こうと思ってバスに乗った。山を越えて砂漠地帯に行く。 ガイドブックが無いので、どこでもいいやと思っていた。バスの中で日本人に会ったので、ガイドブックを見せてもらった。それによるとZagoraからでは砂漠ではなく土漠しか見れないとのこと。砂漠が見たければM'Hamidがいいと書いてあった。このバスには日本人が5人くらい乗っていて、皆M'Hamidに行くと言う。急遽予定変更。バスを乗り越して、M'Hamidに来た。ホテルは2軒しかなく、当然安いほうに泊まったが、部屋は暑いので屋上のテラスに毛布を敷いて寝た。すごいところに来てしまったかも。

Africa

Marrakesh:MOROCCO

01/Jun/1999(Tue) - 03/Jun/1999(Thu)


[Hassanのの店で一緒に]

Funa広場のそばに安宿をとりぶらぶら。Funa広場で一休みしているとMorocco人に声をかけられた(と言ってもしょっちゅうかけられてるけど...)。「日本人ですか?」と言われて「そうです」と答えたが「本当に日本人?」と言われてしまった。そりゃ~すっかり色黒になって最近は日本人からも日本人に見えないなどと言われているが、失礼な...。
彼の名はHassanと言って日本語を本で勉強しているそうだ。日本語学校なんてないので、観光客を捕まえては話しているらしい。Soukにある彼のお店(香辛料を扱っている)でお茶をいただき、タバコを吸いながら一時間くらい話したかな。彼の本職はカバンを作って日本に売っているらしい。現在5ヶ国語を話し、次は日本語だそうだが、俺と世間話をする分には十分だと思う。

Africa

Casablanca:MOROCCO

31/May/1999(Mon) - 01/Jun/1999(Tue)


[Morocco最大のモスク(Grand Mosquee Hassan II)]

MoroccoにはHanmamと言う公衆蒸し風呂がある。丁度宿の斜め前にあったので入ろうとして行ったら、午後は女性の時間で男は午前中だと言われた。仕方ないので、翌朝早く起きて行った。中でおじさんと知り合い、色々入り方とかを教えてもらうばかりか、小道具をかりたり、しまいには関節マッサージまでしてくれた。ちょっと痛かったけど...。思ったよりも熱くなく、サウナをイメージしていた俺としては少々不満だが、気のいいおじさんと朝のひとときを過ごせたのでよかったとしよう。

Africa

Tanger:MOROCCO

30/May/1999(Sun)


[ハシシの売人君に連れてきてもらったGrand Socco広場を一望できる場所から]

Africa大陸を踏んでしまった。
ここの人間はたちのわるいことで有名だが、それは決して噂だけではなく、本当にたちがわるい。なにかというと金よこせ、タバコくれ、おみやげくれ、ガイドするぞ、ハシシ等など...。どこからともなく人がよって来て、声をかけてくる。うっとうしいったらありゃしない。勝手に人の荷物を持って歩き出し、持ってやったからよこせとか手口はいろいろ。断わるだけで結構時間がかかってしまう。1時間位ずっと付きまとってきた奴もいて、色々情報をもらったが最後にハシシどうだと言ったので断わったら、捨て台詞をはいてどこかへ行ってしまった。ティップくらいあげてもよかったのに...。

Africa

Malaga:SPAIN

27/May/1999(Thu) - 30/May/1999(Sun)


[こんな風景を見ながら鳥の照り焼き弁当...]

特にMalagaが見たかったわけではない。
この辺りには白い街や地中海にめんしたリゾート地があるので、ここを拠点に日帰りであちこち行こうというものだ。
その白い街の一つ、Mijasに行った。期待していたものと異なり、素朴な雰囲気ではなかった。てくてく歩いて、裏の方に行けば庶民的な部分が垣間見れるといった感じかな。日本人観光客も多いらしく、「日本語でどうぞ」なんておみやげやが結構あった。
そんななか俺は日本のお弁当屋さんを見付けてしまったのだ。鳥の照り焼き弁当を買って展望台で食べていると、外人の子が物珍しそうに見ていた。ははは...。

Europe (Part1)

Madrid:SPAIN

21/May/1999(Fri) - 27/May/1999(Thu)


[闘牛場前。そうそう、この後Barcelonaで無事闘牛を見ました]

というわけでMadridへ来ました。
ここでは闘牛を見たかったのだが...。今までチケットというもので苦労はしなかったが、とうとう買えなかった。この時Madridはなんたら祭りで毎日闘牛が行われていたのだが、見に行った日はとても重要なものだったらしい。そんなこと知らず、なんでも見れればいいやと思っていたが、チケットは既に売り切れており、ダフ屋もほとんど売りつくしてしまったのか声をかけてこない。ちぇ~だ。
まだSpainには居るので何処かで見れればいいなーと言ったところだ。

Europe (Part1)

Lisboa:POLTUGAL

18/May/1999(Tue) - 20/May/1999(Thu)


[West End]

この旅に出てから初めて時計を戻しました...。
ParisからMadrid行きのチケットを買ったのだが、途中で気が変わってFrance、Spainの国境での乗り換えの時に、Lisboa行きの電車に乗り換えてしまいました。 車掌さんはあまり文句も言わずに許してくれた。よかったよかった。
ではなぜ気が変わったかと言うと、East Endへ行く前に、West Endを見ておこうというわけだ。ただそれだけのことだ。Loca岬の断崖絶壁は正にWest Endという雰囲気でよかった。ここからスタートかななんて思い直したり...。

Europe (Part1)

Rennes:FRANCE

16/May/1999(Sun) - 17/May/1999(Mon)


[Rennesの旧市街]

ここへは全くよるつもりはなかったのです。ただTGVの予約がとれなくて一泊しなければいけないはめに。一応観光地で地球の***方のFrance編にはちゃんと載っている。ちなみに俺はEurope編しか持っていない。
この日は朝一番でPontorsonから電車でここRennesに来て、Parisに戻り、Spainに行くつもりだったが日曜日ということで、電車がことごとくお休み。France語の時刻表の注意書きがよく理解できてませんでした。夕方に一本しかなかった。 開き直ってPontorsonにもう一泊と思っていたところ、日本人のおばさん3人組に遭遇。Rennesに行ってからSt. Maloに行きたいとのこと。電車がないことを話すと、タクシーでRennesまで行くと言う。一人じゃとても乗る気になれなかったけど4人なら...。タクシーの運転手に聞いたところRennesまでFF600。FF150を払おうとすると「若い人はいいは」。ありがたや...。この前のおやじとは大分違う...。

Europe (Part1)

Mont Saint Michel:FRANCE

14/May/1999(Fri) - 16/May/1999(Sun)


[これを見るために...]

Mont Saint Michel近辺の宿は高いので、9Km離れたPontorsonというところに宿をとった。ここはMont Saint Michelに一番近い電車の駅。Mont Saint Michelへはバスで15分くらいだったかな。
満潮の時間が19:00。Pontorsonに戻る最終バスが17:40。まあ9Kmなら2時間くらい歩けば着くだろうと思い、満潮を見ることに。すごかったという話はおいといて...。 欲が出てライトアップを見ることに。こっちは22:00位まで明るいので真っ暗になったのは23:00位。ライトアップを満喫してさて帰ろうと歩き出した。田舎なので街灯も無く真っ暗。4Km位歩いたところで、手も上げていないのに一台の車が止まってくれた。英語の全く話せない男の人。Gayだったらどうしようと思ったけど、送ってもらいました。いい人でした。はい。

Europe (Part1)

Paris:FRANCE

09/May/1999(Sun) - 14/May/1999(Fri)


[Versailles宮殿]

とうとうParisまできた。まだParisでいいのだろうか...。
それは突然の出来事だった。郊外のVersailles宮殿に行った帰りのこと。電車のチケットを買って改札を入ろうとしたときに起こった。「日本人のおやじ」と遭遇。おやじは二人組で一人は立派なカメラを首から下げている。会社の研修旅行で来ているそうだ。行きはParisからタクシーで来たのだそうだが、帰り方が分からないと言う。「旅は道ずれ」とか訳の分からないことを言って一緒に帰ることに...。Parisまでの約30分。余計なお世話な話から、下ネタまで盛り沢山だった。昨年10/10に日本を出て以来の遭遇だ。懐かしいやらなにやら...。

Europe (Part1)

Brussels:BELGIUM

07/May/1999(Fri) - 09/May/1999(Sun)


[綺麗なParc de Bruxellesだが...]

王立美術館を出た後、Parc de Bruxellesでタバコを吸っていると、おじさんに声をかけられた。Gayだ...。おじさんは股間をいじりながら話し掛けてくる。「俺のアパートに来ないか?」、「飲みに行かないか?」等など。France語っぽいなまりで聞き取りにくい。Noと言いつつ話を聞いて、タバコが吸い終わったところでさよならした。日本人は結構もてるとは聞いていた。
夕暮れ時Grand Placeでタバコを吸っていると、日本人の女の娘に声をかけられた。あちらも独り旅。意気投合して、一緒に食事をして、Grand Placeのライトアップを見て...。
捨てる神あれば拾う神あり...。

Europe (Part1)

Amsterdam:NETHERLANDS

04/May/1999(Tue) - 07/May/1999(Fri)


[Sex ShopのShow Window]

一番安い宿に泊まることにしたら、とってもガラの悪い場所だった。5軒くらい隣には既に飾り窓のおね~ちゃんが窓の向うで手を振っている。Sex ShopやDrugの売人がうろうろ。
ここで会ったFrance人のお話。お金が無くてFranceに帰れなくてこの宿で働いている。カメラを売ったりもしたそうだ。Franceくらい少し働けば帰れるだろうと言うと、Red LightやCoffee Shopに通っているので貯まらないとのこと。ちなみにRed Lightとは飾り窓のこと。Coffee ShopはDrugをやりに行っているということ。本当にその辺のCoffee Shopで簡単にDrugが買えるようです。一応違法らしいけど、黙認されているみたいだ。売人のほうは時々おまわりさんにいちゃもんつけられているのを見るけど、その辺で平気でやっている奴を見かける。

Europe (Part1)