Bangkok:Thailand

23/Aug/1999(Mon) - 29/Aug/1999(Sun)


[Vimanmek Mansion Palaceの下駄箱はすんごい臭いがした]

おいおいそんなにか...。
IndiaではよくNepal人かと聞かれた。NepalではよくTibet人かと聞かれた。なんとここではとうとうThai人扱いだ。
Vimanmek Mansion Palaceに行った。ここではガイドが案内してくれるのだが、入口で言われたのはおそらくこんな内容のことだったのだと思われる。「次のツアーは英語だ。Thai語のツアーは20分後だ。」。 お土産屋に入ると、気持ち悪いくらいに店員が無関心だ。いろいろ見ているとしばらくして何人かと聞かれ、日本人だと答えた。Thai人かと思ったと店員二人に大笑いされた。それからあれこれとお土産を勧めだしたのでうっとうしくなった。
帰国にむかって少しは洋服を買おうとデパートに行った。店員は当然のようにThai語でいろいろ勧めてくれるが馬の耳に念仏状態。試着してもいいかと英語で聞くと、あわてて英語の少し話せる店員を呼びに行った。 観光地とは離れたところをあるいていてコンビニでアイスクリームを買った。店員は値段を言ってくれたようだが、Thai語なのでまったくわからない。わからないことを目でうったえると、耳が聞こえないのかと耳を指差す。英語で「Thai語はわからない」と言うと、少し驚いたようだった。
Thai人ではないことをあかしたときの反応が面白くて、楽しんでいた部分もあったかもしれない。Thai人のみなさん、ごめんなさい。

East End

Calcutta:West Bengal:India

21/Aug/1999(Sat) - 23/Aug/1999(Mon)


[Indiaのタクシー]

Culcutta無事着陸。
時間の都合もあってAsiaに来てから飛行機をよく使っているが、ここらでは着陸と同時に席を立って出口に向かって歩き出すのが一般的のように見える。飛行機が止まってドアが開くとジリジリとつめていき、後ろの人に押されることもよくある。日本の通勤電車なんかもそうだよな~。
俺の少し前にいた欧米人がぶちきれていた。後ろのIndia人に押されたのが気に入らなかったらしい。「押すんじゃない!」。後ろのIndia人は英語が分からないようでキョトンとしている。なんでこいつは怒っているんだといった顔だ。欧米人は「お先にどうぞ!!!」とオーバーアクションを交えて皮肉たっぷりに言っていたが、そのIndia人にとってはなんら失礼なことをしたという意識はないのだろう。
Indiaではこのようにぶちきれている欧米人を結構見た。

East End

Kathmandu:Nepal

20/Aug/1999(Fri) - 21/Aug/1999(Sat)


[刺繍屋のおやじと小憎]

刺繍屋のおやじと小憎。
たまたま路地裏で見付けた刺繍屋のおやじと仲良くなった。小さな店でこのおやじ客引きをするわけでもなくボケーっとただ座っていた。俺はそこで二枚のTシャツを作った。気に入った色のTシャツがなかったので、他の店に行って180NRsと言われた無地のTシャツを買ってきたらそれに刺繍してくれるかと聞くと、俺なら90NRsで同じTシャツを手に入れてやると言って、刺繍込みで一枚200NRsで作ってくれると言う。
そこの小憎と一緒にTシャツの問屋のようなところに行って色を選んで帰ってきた。その後小憎だけがその選んだTシャツを買いに行った。こうすることで真っ当な値段で買うことができると言う。この小憎英語がわからないせいもあってか、まったく不愛想でニコリともしない。おやじの子供かと思っていたら、「俺の子供はもっと小さくて、もっとカッコイイ」とか。
Tシャツができて受け取った後も暇ができると遊びに行ってチャイを御馳走になりながら話し込んだり。時々おやじは「もう一枚作らねーか?」と言うが、決していやらしいものではなかった。
Kathmandu最後の日の朝、おやじにお別れを言いに行くと、「もう一枚作りに来たのか?」と言う。首を振りながら「今日で最後だからお別れに来たんだ。」と言って小憎にいよいよ不要になったトレーナーをあげた。小憎はやっぱりニコリともせずそそくさとそれをしまいこんだ。

East End

Nagarkot:Nepal

19/Aug/1999(Thu) - 20/Aug/1999(Fri)


[なんか全然写ってないや。ちぇ...]

OH, HIMALAYA MOUNTAINS.
朝一番でKathmanduの宿に荷物を預けて出かけ、Bhaktapurの古い町並みを見た後、Nagarkotへ行った。ここは標高2100mでヒマラヤの展望台と言われている。が、雨期のため空には雲が...。
まあそんなのは覚悟の上。Pokharaでも結局よく見れなかった。ただ、運が良ければ日の出頃のまだ雲が上にあがらない時間に見える日があるとのことだった。見晴しのいい部屋をとって朝にそなえる。夜は結構冷え込むうえ、水シャワーしか出ないので体はすっかり冷えてしまった。Pokharaのおばちゃんが唯一興味を示さなかったトレーナーを着込んでしのぐ。おばちゃんありがとう。
さて朝だ。5:30頃起きて窓から外を見ると空は真っ白け。う~ダメか...。うとうとしながら見ていると6:00頃突然雲の切れ間からヒマラヤが姿を現わした。テラスに出て30分くらい見入っていただろうか。再びヒマラヤは雲に隠れてしまった。
満喫したとは言い難いが、「乾期にもう一度来なければ」と思わせるには十分だった。

East End

Kathmandu:Nepal

16/Aug/1999(Mon) - 19/Aug/1999(Thu)


[案内して貰ったDurbar Square]

Durbar Squareのインチキガイドと嘘つき合戦。
Durbar SquareのMaju Devalの上に座り込んで一服していると、Nepal人の学生だという若者が話し掛けてきた。ひとしきり話がおわると「どこどこは行ったか、まだなら案内してやる」と言ってきた。なんだこいつガイドか。この手の奴は親切そうにいろいろ案内してくれて別れるときにお金を要求してくる。俺は気付いていないふりをして案内してもらうことに。50NRsくらいなら払ってもいいと思っていた。
Durbar Square周辺の見所を1時間くらい案内してもらっただろうか。さてお別れのとき。案の定奴は150NRsを要求してきた。そんなの払えないと言って歩き出すと、卑怯者呼ばわりされた。「ガイドは俺の仕事だから払ってもらわないと困る。」と言ってきたので「俺は日本語の先生をしている。お前には日本語を教えてやったから200NRs払え」と。
奴は捨て台詞を吐いたものの、意外にあっさりと去っていった。お~い、50NRsなら払う気あるぞ~...。

East End

Pokhara:Nepal

13/Aug/1999(Fri) - 16/Aug/1999(Mon)


[Pokharaの子供達の登校風景]

Tibet人の行商のおばちゃんと物々交換。
カバンの奥底に眠っていたフリース、トレーナー、手袋、乾電池を持って表に。ここらはリュックにアクセサリ等のお土産をつめて行商しているTibet人のおばちゃんが多い。道端でそれをひろげている。適当なおばちゃんの横に座り込む。
適当なものを指差して交渉開始。まず値段を聞くと500NRsというが、俺の見立てでは50NRsがいいとこ。といっても俺はどのみち捨てて荷物を軽くしようと思っているので何でもいいといえば何でもいいのだが、それじゃつまらない。交換を申し出ると「何持ってんだ?」と興味を示してきた。日本製の物はなんでも品質が良いと思われていて結構喜ばれる。おばちゃんはフリースと乾電池と手袋を子供のために欲しいと言ったが、俺のフリースはMade in U.S.A.だった。しかしおばちゃんはそんな細かいところまでチェックしない。日本人が持っていれば日本製だと思っているようだ。アクセサリひとつとそれらを取り替えてやると言うが、どれかひとつにしてくれと言うと、これもこれも付けるからと言っていろいろ出してくれる。このおばちゃんよっぽど欲しいらしく、ひとつまたひとつと増やしていく。でも俺ははじめのひとつしか気に入っていなかったので、そんなのいらないと突き放す。とうとうおばちゃんは好きなの選べと全てをひろげた。が、やっぱり俺は気に入ったのが見つけられなかった。おばちゃんはしぶしぶフリースを選んで物々交換成立。
日本で買った3000円のフリースで、3年間(特に今年)着込んだボロボロのフリースはアクセサリに変わった。

East End

Raxaul:Bihar:India

12/Aug/1999(Thu) - 13/Aug/1999(Fri)


[India側のイミグレーション]

国境越えの話しでも...。
早朝にBuddha Gayaを出てPatnaでバスを乗り換え、Nepalとの国境の街Raxaulについたのは18:30くらいだった。そのまま国境を越えて夜行バスに乗れれば翌朝にはPokharaに到着できるつもりだった。しかし、停電で真っ暗になったIndia側のイミグレーションのおやじが言うには、19:00でNepal側のイミグレーションが閉るので今日はもうダメだと言う。時計は18:45でまだ間に合うじゃないかと言うと、時差が15分あるからもうダメだと言う。ごもっともです。仕方なくそこに宿をとる。
翌朝一番で国境越え。まずIndia側イミグレーションで出国手続き。そこから少し歩くと税関があって、形ばかりの質問があってほとんど素通り。で、歩いて国境を越える。「Welcome to Nepal」の看板が見える。が、 どこが国境かよく分からないままNepal側イミグレーション。ここで写真一枚とUS$30を払ってVISAを発行してもらい、入国手続き。そこから少し歩くとNepal側税関があってここもほとんど素通り。晴れてNepal入国。小さな銀行があって、両替えできるようになっている。俺は多少Nepalルピーを持っていたのでそこでは両替えしないで素通り。
そんな感じでした。

Asia (Part2)

Buddha Gaya:Bihar:India

10/Aug/1999(Tue) - 12/Aug/1999(Thu)


[二軒目の宿のオーナーの孫とじじい。チャパティを御馳走になった]

正確に言うとVaranasiから電車でGayaに着いたのが夜遅く、Buddha Gaya行きのバスが終わっていたためGayaに一泊して、翌朝バスでBuddha Gaya入りした。
客引きについて行ってあっさり宿を決めた。部屋に荷物を置いて早速観光。狭いところなので一日あれば十分だ。観光を終えて宿に戻ったが、客引きの嘘が度を越していたため、宿を変更することに。翌日の早朝に乗るツーリストバスの発着場所のそばに宿をとったつもりだったのだが、チケットを手配したところ客引きの言ったことはまったくのデタラメだったのだ。多少喧嘩腰で文句を言って一銭も払わずに宿を出た。が、雨がまた降ってきた。適当な店に入ってチャイをすすりながら雨宿り。暇そうなじじいや子供と雑談する。雨が降ってくるとだいたいそんなことをしている。そのうちに雨はだいたい止んでしまう。そんな時間が結構好きだった。
じじいがしきりにタバコを勧めてくれるので、一本また一本と貰う。自分で持っていないわけではないが、出すにだせない状況だった。じじいが美味しそうに吸って、得意気に俺にくれるタバコはIndia人タバコで十本5Rsくらいのものだった。俺が持っているマルボロライトはここでは超贅沢品で二十本60Rs。
じじいの嬉しそうな顔を見ていると、それを出して吸う気にはなれなかった...。

Asia (Part2)

Varanasi:Uttar Pradesh:India

08/Aug/1999(Sun) - 10/Aug/1999(Tue)


[ガンガーの沐浴風景]

もうドミトリに泊まることはないと思っていた。そこまで節約しなくてもと...。
ここVaranasiはヒンドゥー教の聖地で日本人にはBenaresと書いたほうがピンとくるかもしれない。ここでは聖なる川ガンガーで沐浴する人を見たり、日の出を見たり、火葬場を見たりすることくらいしかない。のんびりまったりと川を眺めたかった。
バックパッカーに有名なガンガーに面した安宿があって、そこのテラスからの眺めはすばらしいと聞いていた。夜行電車に乗って早朝に着いた俺は真先にその宿を目指した。が、満室。その宿のテラスから日の出だけ見て他の宿に泊まることにした。翌朝、お目当ての宿に泊まっている日本人から、今日なら空きができると言う情報を入手し、移ることに。
空いたのはドミトリ。ベッドが10くらい並んでいるだろうか。その部屋は日本人ばかりだったが、テラスでは外人も含めて、皆まったりとガンガーを眺めている。観光ボートが行き交い、子供やバッファローの死体が流れてきたり。その上にカラスがとまって突いていたりする。あいにくの天気で結局日の出らしい日の出が見れたのはVaranasiに到着した朝のみだったが十分にまったりした。
ドミトリ一泊35Rs(約100円)。もうこれ以上安い宿に泊まることはないだろう...。

Asia (Part2)

Khajuraho:Madhya Pradesh:India

05/Aug/1999(Thu) - 07/Aug/1999(Sat)


[正直者のお土産屋のオーナー]

少々退屈気味だったので、お土産屋と遊ぶことに。
屋台のお土産屋でキーホルダを買う。当初50Rsと言っていたが、俺の見立てでは20Rsが無難なせんだろう。約1時間の交渉の末25Rsで手を打った。
ここで内緒にしてやるから、本当の値段を教えろ、と言ってみたがなかなか白状しない。そんなやりとりを道端に座り込んでしていると、別のお土産屋のオーナーだと言う男が声をかけてきた。 こいつはおかしな奴で何でも正直に話してくれる(多分)。そいつの話によると、コストは10Rsで通常販売価格は15Rsだと言う。しかしそれはオーナーであるそいつが売った場合。俺が買った屋台の連中はただの遣いっ走り。連中は給料を貰っていて、15Rsで売っても得にも損にもならないそうだ。連中は客からボッた分はそのまま懐に入れることができる。つまり連中から買う場合は20Rsが無難なせんだろうと言う。India人ビジネスおそるべし。そんな話をしながらチャイを御馳走になったり、ヒンドゥーのお寺のお祈りの時間に連れて行ってもらったりよくしてもらった。
India人のいいやつに巡り会うのは大変だ...。

Asia (Part2)

Agra:Uttar Pradesh:India

03/Aug/1999(Tue) - 05/Aug/1999(Thu)


[あ~、もし俺がお金持ちだったらVanabdiに何でも買ってあげられるのに...]

郊外にあるFatehpur SikriのJama Masjidでの話し。
雨期といいつつもちっとも降らないと思っていたらとうとう強烈な雨が降ってきた。 回廊に腰を下ろして止むのを待つ。広場では子供が服を脱いで水遊び状態。
子供が寄ってきて2Rsのお菓子を買わないかと言う。いらないとか言うと、ペンをくれないかと言う。最初は素っ気ない応対をしていたが、雨は長引きそうなので付き合うことに。彼女の名前はVanabdiと言った。6歳くらいだろうか。
V:「ペンくれない?」
T:「30Rsで売ってやる。」
V:「その帽子ちょうだい?」
T:「これは500Rsだ。」
彼女にとっては500などという英語は普段必要ないもので、理解できていないようだった。おそらく10まで知っていれば十分なのだろう。 遊んでもらったお礼に、紙の切れ端で鶴を折ってやった。このころになると大分子供が集まってきていた。他の子供も俺にも、私にも作ってくれとうるさい。三つくらい折った頃には大人も含めて20人くらいの人だかりになってしまった。警備員が日本人がIndia人に囲まれて困っている、と勘違いして人払いにきてしまったり。
Vanabdiは鶴を見てとてもうれしそうにしている。 なんだかんだ言っても子供だなとか思っていると、Vanabdiが俺の顔を見上げてこう言った。
「Toshi、これを2Rsで売ればいいのよ。」

Asia (Part2)

Jaipul:Rajasthan:India

02/Aug/1999(Mon)


[左からBとAとC]

Delhiから夜行寝台に乗ってJaipulへ行く時の話。
同じコンパートメントには学生の男(A)とアクセサリを扱うビジネスマン(B)と英語のまったくしゃべれない男(C)。AとBは英語が話せるのでいろいろ聞いてくる。Cは退屈そうにこっちを見ているだけだ。
話しが一段落して、Aが新聞を読みはじめた。U.S.A.の圧力についてブツブツ言っている。
A:「連中は我々の核兵器を恐れているのだ。」
日本人としてはそりゃ~当然だという話をすると、
A:「50年も前の話をするな。」
B:「これからIndiaは強くなるぞ。」
そういって拳を見せてニッコリ笑った。
インテリの部類に入ると思われるIndia人の極一市民の生の声に驚きを隠せずにはいられなかった。

Asia (Part2)

Delhi:Delhi:India

30/Jul/1999(Fri) - 01/Aug/1999(Sun)


[Main Bazarの雑踏]

明るいうちにDelhiに到着。エアポートバスに乗ってNew Delhi駅へ。ここではバックパッカーがたまるMain Bazarに宿をとる。モスクの一部にあるその部屋は、コンクリートむき出しの壁、天井、床。ベッドが一つあるだけでシャワー共同。シーツも湿った感じがして、天井には大きなファンがまわっている。蒸し暑くて夜には蚊が飛び回る。表では雨でぬかるんだ道を人、牛、リキシャ、車が所狭しと行き交う。土産物屋に気をとられると牛の糞を踏んずけたりする。
一泊80Rs(約230円)。こんな状況に身を置くことがおかしくて愉快だったりする。
エアポートから宿を探してチェックインするまで、いろんな奴が声をかけてきた。第二のあこがれの地、Indiaまでやってきた。

Asia (Part2)