松坂問題2

今年最後の更新です。一月ぶりです。もう取り返しがつきません。少しすっとばしましょう。
さて、前回募集した松坂問題だが、同意のメールは一通もなかった。最近松坂の西武入団発表のニュースを見た。どうやら某先輩は俺の顔を忘れてしまっているようだ。うるうるだ...。
別の某先輩はこのお休みに北海道で海産物を取り扱っている実家に帰って毛ガニをたらふく食べるようだ。じゅるじゅるだ...。カニの値段調べてみよーっと。
> Telford Ave. のページ更新しました。

NHLを観に行ったおはなし

04/Dec/1998(Fri)

子供の頃に札幌に住んでいたという話はどっか別のコーナーで書いたと思うが、この頃アイスホッケーに何度か連れて行ってもらった憶えがある。それ以来ずーっと観ておらず、記憶の彼方に消えていた。ところが近年、鶴見区に住む某お猿さん友人が、アイスホッケーのチケットをどっかから貰えるとのことで、何度か誘われて観に行ったことがあり、これがなかなか面白い。残念なことに日本では人気があるとは言えないスポーツで、わずかな観客席しかないスケート場でやっており、観客もほとんどがなんらかの形でチームに関わっている人間といった感じだ。応援団とかいて、チアガールのおねーさんが「コ◯ド!チャチャチャ!」なんてやっていたっけ。



さて北米ではどうでしょう。日本では野球(大リーグ)、バスケット(NBA)の北米リーグは結構紹介されているものの、アイスホッケー(NHL)となると、普通はほとんど目にしないので、人気の程が分からないかもしれないが、野球、バスケット、アメリカンフットボールに並ぶ人気スポーツだ。なんと言ってもプロフェッショナルリーグだし。この時期野球はオフだし、バスケットはストライキ中だしで盛り上がっているようだ。ここVancouverにはCanucksというプロチームがあるのでまた格別だが、決して強くはないようだ。アイスホッケーに限らず、優秀な人材は給料のいいU.S.A.に流れて行ってしまうというのは、Canadaの宿命なのかもしれない。写真左はVancouver Canucksのマーク。

ここで極々簡単にルールを説明しましょう。ゲームは3ピリオド(1ピリオド20分)で行われ、各ピリオドの間には15分の休憩が入る。ゲームが止まっている間は時計も止まる。一チーム6人だが、特に審判に断わることなくいつでも交代できる(下手にやるとつけこまれて得点されかねない)。かなりヘビーなのか数分でころころ選手が入れ代わる。基本的にはスティックを使ってパックを相手ゴールに入れれば一点。浮いたパックを手ではたき落としたり、足で蹴ったりしてもかまわないが、パックをつかめるのはキーパーだけ。氷上の格闘技とよばれており、押したり小突いたりしたくらいでは反則にならない。余りにあからさまと審判が判断したときだけ、反則がとられペナルティーボックスへ。度合いによって時間はことなるが、まあ通常は2分間。この間は人数が少ないまま試合をする。第3ピリオドあたりになると激しさがましてきて、乱闘も珍しくない。本場の乱闘を見たいものだ。



さて、ここに来たら一度は観に行こうと思っていたので、チケットの価格や購入方法などを調べていたところ、学校で観戦ツアーが企画された。団体ということで、個人的に行くより安い。のりましょう。限定18人ということで即申し込み。その後あっというまに埋まってしまったようだ。あぶないあぶない。 で、やってきました。場所はSkytrainのStadium駅を降りてすぐのGM Place。中に入るとすぐに、ゲームパンフレットを売っていた。よく見るとたったのC$3。買っちゃいましょう。選手名一覧やゲーム日程、座席表などが書いてあり、初心者にはありがたい情報が満載で、値段のわりに立派なパンフレットだ(写真右)。しばし廊下をうろうろした後、座席の方に入る。観客席はわりと暗くなっていて、リンクだけが白くうきあがっている。底の深いすり鉢状のつくりで、2段になっており、食事をしながら観戦できる席もある。何人くらい入るんだろう。わかりません。リンクの真上には大型モニターが四方向に。ハードロック系の音楽がガンガンにかかっていて場を盛り上げる。日本での経験をもとに結構厚着で行ったが、ぜんぜん寒くなかった。やっぱり熱気がちがうんだろうか...。

子供から年寄りまで熱心に応援している。ゲームが止まるとすかさず音楽がかかり、応援の為の様々な仕掛けがある。時折ウェーブなんかも起こって、結構観客も忙しい。すぐ横には地元少年ホッケーチームらしき団体(小学生低学年位)がいて熱狂ぶりが微笑ましい。ときどき大型モニターに観客がアップで写る。これに写りたくていろいろやっては、「俺を写せ!」と叫んでいる。最初の休憩時間。これまた少年ホッケーチーム(これも小学生低学年位)がでて来て試合をはじめた。さすがにプロと違ってヨタヨタヨタボテッといった感じだが、観客のテンションは変わらず。点が入ると総立ちで拍手喝采。得意気に手を振ってそれに答える少年がまた微笑ましい。



この日の試合はVancouver Canucks VS Dallas Stars。とにかくかっこよかった。結果は4-1でVancouver Canucksの圧勝だったので、盛り上がりっぱなし。帰りのSkytrainの中もいつもより賑やかだった。写真左はお気に入りの選手で、CanucksキーパーのGarth Snow背番号30。ユニフォームを買って帰らねば。お目当ての本場乱闘は残念ながら見られなかったが、十分楽しんだ。また来よう...。

おまけ:1月3日現在Vancouver Canucksは5連敗中。とほほ...。

床屋に行ったおはなし

29/Nov/1998(Sun)

日本を出てもうすぐ2ヶ月。大分髪が伸びて来て、うっとうしくなってきた。出発真際にかけたハーフパーマも妙な具合に残っていて、朝起きると爆発している。今になって考えると、このハーフパーマのかかった頭を目撃した日本の知人は、家族と出発当日に成田で会った「タイに行く」という某先輩2人だけではなかろうか。うーんアップの写真を撮っとくんだったかな。どんなだったかというと、軽ーく波うってるだけで、イメージはそんなに変わってなかったと思う。離れて見ると多分わからない。この某先輩も「パーマかけた?」と確認したくらいだ。

Downtownには結構日本人のやっている床屋、美容室があって、「日本語でどうぞ」なんて看板を見かける。俺より大分早くからVancouverに来ている日本人の話では、やっぱりそういったところに行っているらしい。何処が上手だとか、何処が安いとかって話も聞いたが、それじゃ面白くない。せっかくだから地元の庶民的な床屋に行ってみよう。どーせ変な頭になったところで、困るわけでもないし。というわけで近所のショッピングモールへ。ぶらぶらと床屋を探すが、こぎれいな美容室しか見当たらない。モールマップを見てそれっぽい名前を探すと、「Men's Hair~」と言うのがあったのでとりあえず行ってみる。

店の前に到着。なんと縞々模様がぐるぐる回っているじゃないか。中に入って値段を聞いてみると、これまたなんとC$10(\800くらい)。こーじゃなくっちゃ、と待ち合いの椅子に腰を下ろす。そのとき2人切っていて4人くらい待っているようだったが、奥からおじさんが出て来て俺を呼ぶ。他の待ってる人も特に不満の素振りを見せていない。よくわからないがとにかく切ってもらうことに。 さて、注文です。

お「どーする?」(シュッシュッと霧吹きで髪を濡らす)
俺「耳だして」(当然細かいことは言えない)
お「これくらいか?」(はさみを耳のところに当てる)
俺「もうすこし長く」
お「こーか?」
俺「そう」
お「わかった...」(ジョキジョキジョキ...)
俺「...」(おいおい随分思いきりよく切ってくれるじゃないか)
お「...」(ウィーン...)
俺「...」(ひよぇ~、なんでバリカンが出てくるんだ)


どうもここの床屋、おおざっぱにはさみを入れた後は、バリカンで整えるようだ。鏡越しに他の人を見てみると同じようにやっている。櫛で長さを決めて、それにあわせてバリカンで刈って行くので、刈り上げという感じにはならない。

あっという間の出来事でした。言ったのよりかなり短い。

お「どう?」(ちょっと得意気)
俺「うん...」(かなりナーバス)


どうって言われてもこんなに短くされちゃどうにもならんだろ。ある程度覚悟はしていたものの、これかー。週末でごったがえすモール内を足早に抜け帰宅。どういじってもかっこつかない。今日はふて寝だ。

翌月曜日の朝、頭に寒さを感じながら登校。早速Julia(仮名)に見付かった。

じ「あらっ、Toshiki髪の毛切ったのね」
俺「うん...」(まだちょっとナーバス)
じ「私はこっちの髪型のが好きだわ」
俺「そっ、そう?」(ちょっと立ち直る)


日本人の好む髪型と、外人の好む髪型ってやっぱり違うんですかねー。でもこれでまた2、3ヶ月行かなくていいか...。うんうん。

一致団結した夜のおはなし

13/Nov/1998(Fri)

とある金曜日の休み時間。

A「こないだストリップパブに行って来た」
俺「え、なんで俺をつれてかない」
A「あ、じゃあ今晩いく?」
俺「お、じゃあ他の連中にも声をかけてみよう」

俺「いく?」
B「いく!」
俺「いく?」
C「いく!」
俺「いく?」
D「いくいく!」


というわけで、その日出席していた男5人全員で行くことになった。男って万国共通の話題があって便利だ。それまで、個別に遊びに行ったことはあっても、全員でってのはなかった。

で、やってきました。中に入るとおねーさんにIDの提示を要求された。5人中俺ともう一人だけ。とほほ(これでも2番目に年寄り)。そんなこともあろうかと持って来た国際運転免許証を見せてやったら、驚いていた。けっ。A君の話ではC$5位でビールを買えば何時間でも居ていいと言うことだったが、その日はなにやらスペシャルデー。チャージを別途とられたが、それでもC$10ちょっと。日本でストリップというと、なんかこそこそ行くようなイメージがあるが、ここは一応ホテルの地下で、普通のパブの横にステージがあっておねーさんが踊ってるといった雰囲気。女性客も結構いて、笑える野次もとび、いたって明るい。これなら女性陣も誘ってやるんだった。洋画なんかで刑事が聞き込みなんかしてるのをイメージしてもらえばいいだろう。照明は一応怪し気で、白っぽい服をきてると蛍光発色して目立つが、黒っぽい服をきているとほこりが蛍光発色して気になる。日本ではストリップに行ったことがないので、比較できないのが残念だ。今度機会があったら誰かに連れてってもらおう。

ステージ上ではおねーさんが一人15分くらい踊って次々と変わって行く。これがなかなかハイレベルなおねーさんばかりで、少々びっくり。北米芸能界の底辺の広さを思い知った(?)。ステージ上に何本か立てられたバーを使ってそれぞれに技などがあり、入れ墨やピアスがあちらこちらに...。まあこの辺の話を詳しく描写すると、当ページの品位が落ちるので興味がある方は帰国後に聞いてもらうことにして(はたして品位があるのかどうかはわからんが...)。ポスターを客席に投げるおねーさんもいて、そこそこ名が通っているのかもしれない。客の方を見ても面白い。ステージ際には、「かぶりつき」の椅子が並んでいて、どっから見ても紳士な老人が一人で見ていたり、これまたどっから見ても真面目で賢そうな学生風の青年が一人で頬杖をついていたり。陽気におねーさんに話し掛けている人も。うーんもっと英語の勉強しなくちゃ。

そんなことを最後部のテーブルから観察していると、ぽっと「かぶりつき」の席が二つ空いた。せっかくです。座っちゃいましょう。座ってはじめて気が着いたが、バネで後ろに倒れるようになっていて、自由自在。うーんやっぱり真際で見上げて見ると迫力が違うなどと思っていると、どーやらメインのおねーさんの登場だ。なにやら"International Magazine Star"と言ってるが、当然知ってるわけがない。Starらしく露出も控えめにステージは終わったが、その後ポラロイドカメラを持ったおじさんと客席をうろうろしている。なになに、C$20払うと上半身裸の"International Magazine Star"と写真を撮ってもらえるって?。せっかくです。お願いしちゃいましょう。ということで"International Magazine Star"を膝の上にのせ、後ろから抱きかかえる形でニッコリ。スキャナが無いのでこの写真は載せられなかったが、これも帰国後に見てもらうとして。

かなりレベルの落ちるおねーさん達10人くらいが一度にステージ上へ。そのまま客席に降りて来てチケットを買わないかと聞いて回っている。なになに、「この後一緒にどっか行きましょう」チケットだって?。せっかくです。頂きましょう。とは、さすがにいけなかったが、見てると買ってる人は結局いなかったようだ。しっかしいったい何人のおねーさんが出てくるんだろう。2,3時間いて一度も同じおねーさんはでてきてないようだ。大して広くないパブでこんな値段で、いったい一人いくら貰えんだか。もっとも俺みたいに酒が飲めなくて結局最初に払ったビール一本で、御飯もしっかり食べて来ちゃったって客もあまりいないか。タバコも吸えるし、普通のパブより居心地いいかも...。でもあんまり話ができなかったので、普通のパブに移動。韓国人と「お前日本人嫌いか?」などという結構シリアスな話もした。なんだかな~。

そんなこんなで、翌月曜日の休み時間。

俺「先週の金曜日にみんなでストリップパブに行ってきた」
E「なに!」
俺「ほれ、この写真みてみ」
E「おお!」
俺「お前休んでたから...」
E「で、次はいつ行くんだ!」


C$20の写真のおかげで、また友達が増えそうだ。安い安い...。

タバコのおはなし



タバコはとても高くて大変だ。最近日本でも値上げされたようだが、カナダでは一箱C$5(\400)ちょいかな。日本ではMarlboro Ligntsを愛煙していたが、ここでは手に入らないどころか、日本で見るようなタバコはほとんど見かけない。チャイナタウンに行けば「内緒のタバコ」が安く手に入ると言う噂も聞くが、実際に買ったという話はまだ聞いたことがない。さて、何故「C$5ちょい」かと言うと、買う場所によって値段が異なるのだ。タバコ屋では値段を大きく表記しているところもあり、二箱三箱とまとめ買いをすると一箱あたりの値段が安くなるのも面白い。普通のタバコ屋ではカートン売りをしていない所が多く、やっていても高い。今のところスーパーで買うのが一番安いと見ている。そんなわけでスーパーでカートン買いをすると、タバコ屋で一箱づつ十箱買うのより500円位お得だ。にしても、確実に俺のお財布の負担になっていることには変わりない。写真は俺がこっちで吸っているduMAURIER Extra Light。2,3種類試してみたが、まあこれが無難な味だったのでこれに定着した。が、このフランス語の名前が非常に言いにくいのが難点だ。ちなみにこれはKing Sizeで日本の通常タバコと同じ長さだが、もうひとつ短いサイズのもある。

酒、タバコは資格を持った店しか販売できないようで、当然未成年者には売ってくれない。基本的にはID(写真入り身分証明)の提示を要求されることになっているが、その辺は売る人の判断だ。普段はスーパーでカートン買いをしているが、出先でたまにタバコ屋で買うことがある。そこであるときIDの提示を求められた。おいおいそりゃないだろ。俺は◯◯才なんだがな...。その時IDを持っていなかったので結局売って貰えなかった。日本でもわりと若く見られる方だが、外人から見るとそんなに若く見えるのだろうか。余談だがクラスメイトのCatia(仮名)は、一月くらい俺を20才位だと思っていたらしい。あまり若く見られるのも考えものだ。

俺の住むアパートは出発前に心配された「禁煙アパート」ではないので、部屋では無事喫煙できている。学校では玄関に灰皿があるので休み時間に一服できる(この頃は寒くてしようがないが...)。さて、その他はどうでしょう。建物の中はまずダメと思ってよい。レストランやカフェも中はまずダメなので結構つらい。外の席はOKだがこの寒いのに外で飲み食いするのもなんだ。一般のパブは一度だけ喫煙席のある所に行ったことがあるが、それ以来見たことがない。これも結構つらい。ディスコ、クラブ、バー、ライブハウスなどはOKのようだ。というわけで、皆お外で喫煙している。公園、歩きながら、建物の玄関にあるタバコを消す用の灰皿の前などなど。ぽい捨てに関しては厳しくないようで、ぽいぽいしているのをよく見かける。

お外でタバコを吸っているとよくタバコをねだられるが、これにもいろいろあって面白い。大きくわけると三段階あるようだ。

1)人の捨てた吸い殻を拾って行く人。この人たちは決してくれとはいわない。
2)くれと言う人。
3)25セントコインを見せて一本売ってくれと言う人。


1)のような人は日本にもいるが、2)や3)のように全くのアカの他人にタバコをねだられることはめったにない。ここでは極々普通のことのようだ。1)と3)には結構プライドが感じられるが、2)はちょっと困ったもんだ。2)と3)の人は普通「余分なタバコを持ってるか」と言って声をかけてくる。どちらの人も「ない」と言えば素直に去って行く。これも暗黙のルールなのだろう。



ここもHealthyというのがある意味でステータスとなっているようで、食べ物などには細心の注意をはらい、暇を見てはジムに通ってエクササイズする、といのが当たり前のようだ。お上品な方に限定するとぐっと喫煙者は減ってくる。箱の表面1/3の面積に右のような文句がでかでかと書いてあり、裏側には同じ文句がフランス語で書いてある。日本の小さく横に書いてある控えめな表現とは大分異なる。その割にこっちのタバコはきつい。俺の吸っているExtra Lightは3段階ある内の一番軽いやつだが、Tar 9mg、Nicotine 0.9mg。ちなみにMarlboro LightsはTar 8mg、Nicotine 0.7mg。日本では健康的はイメージでロータールタバコが大流行し、「健康に気を使ってるんだぜ」みたいな人がたまにいるが、ここではロータールだろうがなんだろうがタバコはタバコで、不健康であることに変わりはないのだろう。ごもっともですね。

喫煙を初めてから禁煙というものをしたことがない俺だが、常々「禁煙」とは全く無意味で、「絶煙」でなければ意味がないと思っている。しかし、お上品な方々の仲間入りするのは、まだまだ先のようだ...。

松坂問題

最近ページの更新をすると、某先輩のHPの日記のコーナーで宣伝してくれる。今のところ広告料の請求はない。ありがたいことだ。この某先輩によれば、我が横浜ベイスターズが取り損なった松坂と俺が似ているとのことだが、はて松坂ってどんな顔してたっけ?同意する方メール下さい。それで判断しましょう...。
> Telford Ave. のページ更新しました。

観光したおはなし(その3)

07/Nov/1998(Sat)



とある金曜日のこと、授業が終わって表でタバコを吸ってるとクラスメイトのDmitri(仮名、写真左)が話しかけて来た。お互い英語が下っ手くそ。

ド「あなたは明日、何をするつもりですか?」
俺「私はStanley Parkに行くつもりです」
ド「あなたは自転車を借りるつもりですか?」
俺「はい、そのつもりです」
ド「私も行きたいのですが」
俺「いいですよ」




そこへJulia(仮名、写真右)登場。彼女は最近入って来たが、イギリス留学の経験があり、かなり英語が上手。当然クラスは別。

ジ「あら、何の相談?」
ド「私達は明日Stanley Parkに行くつもりです」
ジ「あら、私も行きたいわ」
俺「いいですよ」


そんなわけで、1人でのんびりまわる予定が、3人で出かけることになった。どうなることやら。



DowntownのBurrard St.とRobson St.の角で待ち合わせ、いざ公園へ。この二人てくてく歩き出した。

俺「ここから歩くと20分位かかります、バスに乗りましょう」
ジ「何番のバスに乗ればいいか知ってるの?」
俺「5番です、多分」
ジ「多分ってあなた...(笑)」


5番のバスに乗って無事到着。そーれみたことか。公園の入り口付近には自転車、ローラーブレードのレンタル屋が沢山ある。適当に入ってマウンテンバイクを借りた。5時に閉店だからそれまでに戻って来てくれとのこと。写真左は久々に自転車にまたがる俺。



Stanley ParkはDowntownの北西に突き出ていて、Burrard InletとEnglish Bayに囲まれている大きな公園(ガイドブックによると日比谷公園の約25倍)で、自転車で外側をゆっくりまわると1時間くらいかかる。写真右はStanley Parkから見たCoal Harbourとその向こうに見えるDowntown。公園の外周の道は2車線になっていて、歩行者用と自転車用になっている。自転車は公園反時計回りの一方通行。天気がいいので景色が綺麗だ。Dmitri(仮名)は運動不足がたまっていたのかしゃかりきになって飛ばして行ってしまった。Julia(仮名)も負けじと頑張ったが、自転車久しぶりなのか2、3度転倒。俺はゆっくりと景色を楽しみながら、時々写真を撮ったり。しばらく行くとDmitri(仮名)が待っていて、少々いらいらしている感じだ。が、英語じゃ文句が言えないらしい。しめしめ。一人が休憩しようと待っていると、他が気がつかずに通り過ぎて行ってしまったり。



写真左はLions Gate Bridge。この向こう側がWest Vancouver。そんなわけで、全く足並みの揃っていない3人だったが、だいたい一周したところで休憩。ここでコーヒーを飲んだのだが、二人とも砂糖、ミルクを大量に入れる。砂糖7袋、ミルク5個と言った感じだ。俺が砂糖、ミルク無しで飲んでいると、信じられないといった顔。しかたないので、Dmitri(仮名)のコーヒーを一口もらって、信じられないという顔をしてやった。これも大事な国際交流だ(そんなわけない)。それにしても、コーヒーもフライドポテトもひどい味だった。再び走り出したところで、これまたクラスメイトのJiho(仮名、写真無し)にばったり。彼は徒歩で来ていた。自転車で1時間位かかったことを教えて別れた。翌月曜日に聞いたところ、結局公園を一周するのはあきらめて海だけ見て帰ったそうな。



我々は公園の内側へ。子供動物園や水族館がある。公園の内側は自転車禁止の道がちらほら。おかまいなし。おまわりさんが馬に乗って見回りをしている。自転車を降りておす。俺が水族館に入ろうとすると。二人とも「高い!」を連発。どうやら入りたくないらしい。俺もどーでもよかったので入らないことに。外側からさわりだけ覗けるところがあり、運よくBelugasが出て来たところで、間近で見ることができた。写真は純白の鯨、Belugas。漂白剤に一晩つけておいたイルカといった感じだ。

日も暮れて来て大分寒くなってきた。そろそろ帰ろうかと公園出口へ。はて、Julia(仮名)がいない。待てどくらせど、いっこうに姿を見せない。先に行ったのかと自転車レンタル屋に戻ってみるがいない。薄着のDmitri(仮名)は寒そうにしている。閉店の5時を15分程過ぎた頃、暗闇のなかからJulia(仮名)が戻って来た。なにやら公園の出口が分からず、あれから飛ばしまくって2周もしてしまったらしい。

ジ「はー疲れた」
俺「..........」(言いたいことは一杯あるが、なんて言っていいか分からない)
ド「..........」(同上)


翌月曜日、顔を合わせてまっ先に言ったのが「股下が痛い!」。ここに国際的な同意が得られた。

交通のおはなし

これまでにやれSkytrainだのSeabusだの市バスだのと書いてきたが、その料金システムは日本と大分異なるので、ここらで説明しておこう。これらは全てBC Transitという会社がやっていて、料金はゾーン制になっている。起点から近い所は1Zone、ちょっと遠いのが2Zone、けっこう遠いのが3Zoneとなる。当然遠くなる方が運賃が高いわけだが、OffPeak運賃というのがあって平日6:30以降と土曜、日曜、休日は1Zone運賃でどこまでも行ける。一度切符を買うと、90分以内なら何に乗ろうが、乗継ごうが自由。市バスの場合は運転手に乗継ぐことを伝えると、乗継ぎ用のチケットがもらえる。以前書いたNorthVancouverへ行った時の運賃を例にあげると、Skytrain、Seabus、市バスを乗継いでも90分かかってないので、行きはPeak運賃2ZoneでC$2.25。帰りはOffPeak運賃なのでC$1.50。なんか申し訳なくなってしまう。



俺の住むMetrotown駅から学校のあるDowntownまでは2Zone。往復でC$4.50だが、定期券を買っている。2Zoneの定期券はC$78.00/月。そんなに割安感は無いように思えるが、この定期のおかげでほとんどどこでも行けてしまう。さらにOffPeak時間なら行けないところはない。定期を見せるのは市バスに乗る時と検問の時だけ。なんて便利な定期だろう。日本の交通システムが妙に面倒くさく思える。

Skytrain、Seabusは改札が無い。切符を買わなくても乗れるのだが、時々検問をやっていてつかまると結構なおしおきがあるようだ。日本人なんかは強制送還になるなんて話も聞いた。車の免許を想像していただければいい。別に免許がなくても車に乗れるが、検問でひっかかるとおしおきがある。それと同じことだが、よく採算がとれるものだ。出口には立派な切符の回収箱がある。切符を拾えばけっこう乗れてしまうからだろう。



さて俺がもっとも利用しているのがSkytrain。モノレールのようなもので、同じ所を行ったり来たりしてるだけ。通勤通学時間には2分~3分おきくらいに来る。4車両くらいかな。列を作って待つということはなく、横はいり自由だが、不思議と混乱はおきない。一応ラッシュはあるのだが、ぎゅうぎゅうづめになることはない。ちょっと隣の人の肩があたるかな程度。というのもこっちの人は無理に乗ろうとしない。乗れるまで2本でも3本でも待つのだ。俺の住むMetrotownではほとんど乗れないということはないが、Downtownが近付くと一人も乗れないこともある。こんなんで会社に間に合うんですかね...。金曜の夜でもほとんど酔っぱらいを見たことが無い。バンクーバーは治安がいいと言っても、酔っぱらってホームや電車で寝れる程ではないということだろう。

Skytrainに乗ってると他人同士が陽気に話しているのを良く見かける。先日あった、微笑ましい話をひとつ。俺の隣にはサラリーマン風の男が座っていて、後ろには子供を抱いた女の人とナッツをつまんでいるおばさんが座っていた。このおばさんが子供をからかいだして、ナッツを差し出しながら「何がほしいんだい。」と大きな声で話しかけていた。すると突然サラリーマン風の男が振り向いて「あたたかいコーヒーが飲みたい。」と言ったのだ。あたりは大爆笑。ここですかさず俺が「すみません。今水しかないんです。飲みますか?」と持っていた水を差し出せれば、俺の英語もたいしたものだが、まだそんな瞬発力はない。ジョークにはタイミングが大事だ。ちぇっ。

次いで利用するのが市バス。以前「次は~です」というアナウンスが無いと言うはなしは書いたが、これが雨の日は大変で、窓が曇っていて外がよく見えないのだ。そんなわけでとうとう乗り過ごしをやってしまった。先日市バスに乗って遠くのスポーツ専門店にスノーボードを見に行った時の話しをひとつ。バスに揺られること20分くらい。乗客は俺ともう一人だけ。目的地に着いてスノーボードを見たが、予算より高いのしか無く引き返すバスに乗ると、それは行きと同じ運転手が折り返して来たところだった。俺の顔を見るなり「もう用事は済んだのかい?」とにっこり。

というわけでこの辺の人は結構(かなり)のんびりしていて、ジョーク大好きと言った感じだ。俺も大分そのペースに慣れて来たかな。日本でぎゅうぎゅう詰めのバスにやっとこ乗ったあげく、運転手に「横が見えないからもっと後ろにさがって」と不愛想に言われてたのを思い出す。はたして日本の首都圏で社会復帰できるのだろうか。今は考えまい...。

おまけ:毎朝使うSkytrainのBurrard駅(地下にある)の昇りのエスカレータは二つあるが、その内のひとつが壊れたようだ(階段は無い)。朝はさすがに渋滞する。修理の作業はしているようだが、もうひと月になる。これものんびりしているからだろうか...。

しくしくだ...。

今週も頑張って更新してみた。やっと10月分を書き終えた。よく考えたら毎週なんかしら書くことができるので、1週間に1度更新しても追い付かないことに気が着いた。どうしよう...。
今週末は残念ながら二日ともひどい雨。雷さんも鳴っている。しくしくだ...。
> Telford Ave. のページ更新しました。

ハロウィーンのおはなし

31/Oct/1998(Sat)



まずはハロウィーン前日にあった学校でのパーティーの話。この日はレッスンなし。パーティーで会話もはずめばそれも勉強。さんざん衣装を着ろだのメイクしろだの言われたが、普通に登校した。ハロウィーンではおばけや魔女の格好をするのが最もベーシックなスタイルだ。写真左は会話のレッスンの先生とひさびさ登場の俺。学校に着くなり普段通りの格好の俺は先生に腕をつかまれメイク室へ。目の下にクマなどを書かれた。この写真の大きさだとよくわからないかもしれないが...(しめしめ)。写真右はクラスメイトのTakashi(仮名)とDmitri(仮名)。



この日は特に出席もとらないので、興味のない人は来なくてもよかったらしい。いつもより人数が少ない。まずはカボチャ灯ろうの作り方を教わった。基本的には頭の部分に穴をあけ、中の種などを取り出し、あとは顔をくりぬいてろうそくを中に立てるだけ。いたって簡単だが、顔のデザインにこってしまうと時間もかかる。写真左は製作を終えた一団。パーティーといってもお昼にピザとジュースとお菓子がでるだけ。それでも1食分浮くのでしっかり食べた。写真右は取材に来た松本明子。に、そっくりなMi-Sun(仮名)。このときまで気付かなかったが瓜二つだ...。



写真左は先生軍団。飲み食いが一段落したところで、学校の外へくりだした(おいおい嘘だろう...)。学校前で集合写真を撮った後、学校近辺を大行進。通行人、車の中から、店の中からよその人が笑いながら手をふってくれる。一団が道路を渡るときに、警官の格好をした先生が笛をふきながら車を止めてしまうなんて一幕もあった。そんなこともしゃれで許されてしまうのだ。写真右は先頭を歩く校長。なんの変装なんだかよく分かりません。なんか中高生位に戻った気分だった。

ハロウィーン当日。本番は夜。便乗してはしゃぐ大人もいて、クラブ(注1)では仮装コンテストなんかが催され、「ロッキーホラーショー」(注2)状態のところもあったようだが、基本的には子供の日。家に居ては雰囲気を味わえない。子供の集まりそうなところに行けばなんか見れるだろう。夕方買い物ついでに近所のショッピングモール内にある「トイザラス」(注3)によってみようと思って出かけたが、着いてびっくり。「トイザラス」どころではない。ショッピングモール全体が大パニックになっていたのだ。

魔女、おばけ、ネコ、悪魔、天使、お姫様などなど。おもいおもいの仮装をした子供たちで埋め尽くされている。親の力の入れようで大分できに差があるようだが...。お目当ては、あちこちの店で配っているお菓子。カボチャの形をしたカゴを持って、店から店へと走り回っている。そんなこととは知らずにデジカメを持って行かなかったのでお見せできないのが残念だが、それはもうすごい盛り上がりようだった。急遽夕飯のおかずを買うのをやめにして、ファーストフード でフィッシュ&チップスを購入。それをつまみながら子供たちの流れをしばらく眺めていた。モールが閉店になり、皆帰って行く。暗闇の中をお菓子を一杯持ったペンギンの兄弟がひょこひょこ...。これまたつまずいて転んでくれたりする。なかなか笑いのツボを押さえていて、サービス精神旺盛だ。

家に戻ってテレビをつけると、これまたハロウィーン特番のあらし。アメリカのFOX-TVでは、「KISS」(注4)の特別ライブ中継。なるほどハロウィーンにはもってこいだ。この連中また化粧するようになったんだなーとか、相変わらず動物的な胸毛は健在だなーとか思いながら見た。コントなんかにも出て来て、すっかり色物状態。少々イメージが変わった。

ホームステイをしているDmitri(仮名)はホストファミリーの子供と一緒に御近所をまわったらしい。そんな話を聞くと、ホームステイもいいなーとか思う。

注1)女子高生風に発音すること。

注2)なんて説明すればいいんでしょう。カルトムービーの代表作。興味のある方はレンタルビデオへ。普通の人には目に毒かも...。子供には見せない方がよい。

注3)言わずと知れたおもちゃの量販店。

注4)70年代後半には日本でも大流行したロックバンド。悪魔っぽい化粧がトレードマークで、まだまだ健在?。化粧をしていなかった時期があった。

学校のおはなし

26/Oct/1998(Mon)~

生活に慣れたせいか徐々に朝起きるのが遅くなってきた(9:00位)。学校が始まると言うのにどうしてやろう。と思っていたら、通学開始前日の10/25にサマータイムが終わった。日本との時差が-16:00から-17:00に。いつものように9:00位に起きてテレビをつけたらテレビの時計は8:00だった。寝ている間に1時間戻ったようだ。この日は実質25時間。得したんだかなんだかよくわからないが助かった。これなら明日も無理なく起きられそうだ。時計という時計を1時間戻す。

というわけで10/26は無事元気に登校(なつかしい響きだ)。Downtownにある学校まで40分位かな。Sky TrainでBurrard駅まで20分、その後徒歩15分。本当はバスも利用できるのだが、健康のためと基本的にバスが嫌いなのとで歩くようにしている。と言ってもまあそのうちバスも使ってしまうんでないだろうか(遅刻しそうな時に...)。学校といっても駅前留学のようなものだから、ビルの1フロアを間借りしている。1階はオープンテラスのカフェで2階が学校、その上は企業などが入っている。学生は100人位と聞いている。

初日はまずクラス分けテスト。ひとりひとり先生と面接。個人のスピーキングをチェックするもの。世間話しを15分位しただろうか。といっても先生に聞かれたことにぽつぽつと単語で答えるくらいしかできなかった。つまりはスピーキングぜんぜんできないということ。その後は筆記テスト。文法とヒアリングをチェック。当然問題も英語。はっきりいってぜんぜんできませんでした。ほとんど白紙状態。とほほ。情けない。一応落ち込んではみたものの、「だから学校に通うんじゃないか」と立ち直るのに0.01秒かからなかったのは言うまでもない。

つづいてオリエンテーション。学校内での母国語使用禁止、ランチルームの使用方法などの説明を受ける。無断欠席、遅刻が重なると通学証明を発行しないというのがあったが、ビジタービザの俺にはだからどうしたといったところだ(学生ビザの人間には重要)。コンピューターラボにはウィンドウスマシンが6台くらい設置されていて、内3台がInternetへの接続が可能。希望者にはメールアカウントを無料で発行してくれるらしいが、この台数では使用できないのと一緒だ。他の3台には発音矯正ソフトなどが入っているらしい。ひととおり終わって表で一服する日本人発見。早速声をかけ情報交換。日本を出てから初めて日本人と話す。

さて翌日、クラス分けの発表。当然のことながら一番下のクラス。午前中は会話のレッスン。8レベルあるのだが、俺のクラスはレベル1と2の合同クラスで8人。日本人3人、韓国人3人、ロシア人、台湾人が各一人づつ。ここでまず驚いたのは、よその国の人々。発音も文法もひどいものだが、そんなことおかまいなしに自信たっぷりにしゃべるしゃべる。きっと頭の中で母国語を英語に変換して、なんてことをやってないんだろう。見習わなくては...。とにかくしゃべったもの勝ちだ。しゃべれば、先生がそれを直してくれるので、自分の勉強になる。とにかく瞬発的に出てくる英語をなおしてもらわないことには、普通に会話はできないのだ。じっくり頭の中で組み立てている暇はない。

さて授業内容だが、ゲームをしたり、生徒同士で相談して問題を解決したりなどなど。説明から質問から英語でなんだか...。しかも辞書使用禁止ときたもんだ。分からない言葉は先生に聞けとのことだが、当然回答も英語で、ボディーランゲージを交えながら説明してくれるが、それでもわからないことがしばしば。これも会話の練習の一種なのだろう。まあそのうち慣れるでしょう。生徒同士の会話では、お互いに英語が上手にしゃべれないのでこれまたなんだか...。自分が正しく言っても分かって貰えない(多分正しい)。前途多難だ...。

それから午後のレッスン。午後はオプションになっていて、3つまでとれる。オプションの数によって当然授業料が高くなるわけだが、俺は1つだけオプションをとった。科目は選択になっていて、文法、ヒアリング、ディスカッションなどなど。とりあえず無難に文法を選択した。なんといっても勉強したのは10年以上前なのでおさらいするのもいいだろう。ここでは日本人は俺だけ。後は午前中に一緒のロシア人や上のレベルの韓国人、ブラジル人などなど。ここで気が付いたことは、上のレベルでも発音、文法は結構ひどい。どうやら午前のレベル分けは会話が正しくできるかどうかよりも、積極的に発言ができるかどうかで分けられているようだ。そう言えば発音、文法についてそんなに口うるさく指摘してこなかった。どうやら口数を増やすのがレベルアップへの道のようだ。そうは言ってももともとそんなに口数の多いほうではない。ましてや英語だ...。うがー。

授業内容は、普通に文法の授業だ。やってることも基本的なことなので簡単。説明が理解できれば...。一応宿題もでるがこれも10分もあればできるようなこと。比較的しゃべれる人が集まっているので、こっちの方が面白いかもしれない。

とにもかくにも前途多難ではじまった英語の勉強。いったい3ヶ月後にどれだけ上達しているのか、自分でも楽しみだ。

NHKのニュース

なんかネタが古くて申し訳ない。なかなか筆がおいつかない。時差があると言うことでお許しいただきましょう。いただけませんね。はい。少し気合いを入れ直しましょう。
こっちにきてもうすぐ一月になろうというのに、今頃になって毎日夜11時からNHKのニュースが流れているのを知った。あいかわらず毒物混入、保険金ネタが目につく。向井さんの下の句がきになるところだ...。
> Telford Ave. のページ更新しました。

観光したおはなし(その2)

22/Oct/1998(Thu)



やれやれ学校も決まって、今日も天気がいい。出かけない手はない。せっかくカナダに来ているのだから、自然を満喫しようとNorth Vancouverを目指し出発。いつものSky Trainに乗って終点のWaterfornt駅でSea Busに乗り換えBurrard入り江を渡った向こう側がNorth Vancouverだ。Sea Busの一番後ろの席に座り、だんだん小さくなっていくDowntownを見ながら10数分の短い船旅を楽しんだ。(写真左はSea Busから見たDowntown)
さて、Sea Busを下りてからさらにバスに乗り換える。まずはCapilano Canyonにある吊り橋を目指す。



このとき初めてバスに乗ったのだが、こっちのバスは「次は~です」というアナウンスがなく、自分の降りたい場所で窓の所にあるヒモを引っ張ると止まってくれる。そんなこと言われても初めて来た場所で、どこで降りればいいか分かるはずもなく、ひたすら窓の外を見て"Capilano Suspension Bridge"の看板を探した。看板を見つけて慌ててヒモをひっぱると、少々急停車ぎみに止まってくれた。そんなわけで他に降りる人はいないのかと思いきや、「あぁ、ここだここだ」と言わんばかりに数人の観光客が下車。ちぇっ。
入場料C$9.58を払って中に入るとまずトーテムポール(写真右)が出迎えてくれる。国籍不明の女の子がよってきてシャッターを押してくれと言うので、それなら俺も撮ってくれとお願いした。望遠機能のついた俺のカメラを見て、しきりに「いいの持ってるな」と言ってじろじろ見ていた。



とりあえず高さ70m長さ137mの吊り橋だ(写真左右)。思ったよりも恐いという感じはなく、つかまらないでも大丈夫。橋の中央附近で渓谷の底を撮ろうとカメラをかまえるが、揺れているのでだめだ。さっきの女の子もすぐ横でカメラをかまえたままシャッターをきれないでいる。そんな所に反対側から10代前半位の悪ガキ軍団登場。揺らす揺らす。これでもかというほど揺らす。これには流石につかまらないと立ってられない。隣の女の子はとうとう座り込んでしまい、ちょっとむっとした様子だが、特にわめくでもなくなかなかたくましい。俺も嫌いじゃ無いので揺れを楽しんでいたが、隣の女の子のにらみが効いたのか、揺らすのをやめた。と思いきやスレ違ってからしばらくして再開。なかなか微笑ましい悪ガキっぷりで笑えた。



橋の向こう側は背の高い木が立ち並び(写真左)、薄暗い林になっている。池がぽつぽつとあって、魚が泳いでいるといった感じだ。園内はそんなに広く無く、30分もあれば十分に一周できる。再び吊り橋を渡って戻ると、そこではインディアンのおじさんがトーテムポール作りの実演をしていた(写真右)。そばに座り込んでしばらく見ていると、時折こっちを向いて、にっこりと愛想をふりまいてくれる。できあがるまではまだまだかかりそうだ(本当に最後まで作るんだか...)。
はて、入り口でもらったスタンプラリーの最後のひとつが見つからない。どーせ帰ったら捨ててしまうのだが、ひとつだけ無いのはくやしい。しばらく探していると、なんとお土産屋の中にあった。やれやれだ。



さて、園内を出てGrouse Mountainに向かうつもりだったが、横に鮭の孵化場の看板が目についた。Capilano Park(ここは無料)の中にあるようだ。時間もまだあるしよってみようとCapilano Parkに入った。ここも薄暗い森なのだが、公園地図を見るととてつもなく広い。さまよえど、さまよえど、いっこうに孵化場は見当たらない。しかも俺以外には人陰が無い。とりあえず時々看板を見るので公園の敷地内からは出ていないようだが...。そうこうしていると、ぽっと河原にでた(写真左)。静まり返っていて聞こえるのは川の流れる音と風になびく葉っぱのこすれる音だけ。遠くに釣りをしている人が見える。なんとなくのどかな気分になって、大きめの石の上に腰を下ろしていると後ろの方でガサガサと大きな音がした。まさか熊なんかでないよなと思いつつ辺りを見ていると、大きな犬が主人と一緒に散歩に来たようだ。川に飛び込み泳ぐ泳ぐ。主人が石を投げ込むとそこに向かってあっち行ったりこっち行ったり。犬も大変な主人を持ったものだ。

再び鮭の孵化場を探してさまよう。やっとのことで見つけて入ってみると鮭の卵から大きくなる様子が展示されている。日本語やその他にもいろいろな国の言葉で説明書きが貼ってある。面白かったのは鮭の川登。人工的に作られた水の流れを鮭が登っていく。側面がガラス張りになっていてその様子が見える仕組みだ。飛ぶんですねー、これが本当にすごい勢いで。面白がってしばらく見ていたが、子供軍団がやって来てガラスの前にへばりついてしまったのでやめた。



公園地図を見ると、かなりの距離をさまよい歩いたのがわかる。出口を探していると、すぐそばにCapilano Lakeがあった。よってみましょう。どうやらこの辺が公園の中心部らしい。薄暗い森から一転明るく、綺麗な芝がはってあり、大分人が多くなって来た。テレビの健康器具通信販売で見るような、見事なプロポーションのエクササイズおばさんが、派手なぴちぴちパンツを履いて、白い大きな犬と一緒にジョギングしていたりする。かっこいい。この辺は優雅なお金持ちの住むところで、大きな家が並ぶ閑静な住宅街なのだ。湖の向こうには絵はがきのように山が見える。写真右はCapilano Lakeのダムの上から見たGrouse Mountain。このダムの上には金網が貼ってあるのだが、風景を見るためにところどころに小さな穴が空いていてそこから撮ったものだ。いいかげん寄り道ばかりしてないで行かなくては。

公園からバスの通る道にでてバス停まで行ったが、時刻表がない。たしか30分に一本か最悪1時間に一本だったはずだ。Grouse Mountainへ登るSkyride(ゴンドラ)は見えている。歩いちゃいましょう。とぼとぼ長い登り坂を歩き出して10分位するとバスが追い抜いて行った。ちぇっ。
やっとこ到着。Skyrideに乗って一気に上に登る。ここは冬はスキー場として営業するが、見晴しがいいために夏でも観光客が訪れる。登ると展望レストランがあり夜景を見ながらのDinnerを楽しめるようだ。辺りを一周してみたがなんか期待はずれで、そんなに見晴らしはよくない。



ガイドブックによるとさらにリフトに乗って200m上の山頂まで行けるとのことだったが、なんとそのリフトが動いていなかった。途方にくれていると小さく歩いて登っている人が見えた。そうです。リフトが動いてないなら歩きましょう(今日はよく歩く)。急な傾斜を登ること20分位。途中降りてくる人が脚を滑らせて転げ落ちるのを横目に山頂に到着。これはすばらしい。ここ数日天気がよすぎたせいもあり水蒸気でDowtownがぼやけて見えるのが残念だ。時刻は17:00位。右手に沈もうとする太陽の強烈な光をあびてDowntownのビルが光っているのがわかる。大きな岩の上に寝転んで水を飲んでいると手の届くところに鳥がよって来た。そっとカメラをとりだして撮ったのが左の写真だ。これは夜景もすばらしいはず。暗くなるまで待ちましょう。



1時間位してようやく日が沈んだ(写真右)。太平洋に沈む夕日と言いたいところだが、残念ながら手前にはVancouver Islandがあるのだった。さすがに冷え込んで来た。後ろの方で中国人らしきカップルがもめている。どうやら彼女の方は寒くて早く降りたいようなのだが、彼氏の方は夜景をカメラに撮りたくて立派な器材を持って暗くなるのを待っているらしい。とうとう彼女の方は一人で降りて行ってしまった。周りにいた人もどんどん降りはじめ、残った物好きはその彼氏と俺だけになってしまった。19:00過ぎ位に、すっかり空が暗くなり夜景らしくなった。あまりに広範囲に見えるので宝石をちりばめたという感じではない。ところどころにある大きな宝石(街)同士を金の鎖がつないでいて(幹線道路)その合間に金のラメをまぶした感じかな。俺の表現力ではこれが精一杯だ。なれない表現はやめましょう(反省)。

寒さと空腹のため腰をあげ降りた。Skyrideの乗り場でさっきの彼女が退屈そうにしている。彼氏はまだ上にいることを伝えると少々膨れっ面になった。待ちくたびれているようだ。一気にふもとまで降りると、運よく1時間に1本のバスに5分待ち位で乗ることができた。終点のSea Bus乗り場で下車。今度はSea Busの一番前に座り、だんだん近付いてくるDowntownの夜景が見える。歩き疲れて脚が棒になっていたが、充実した一日だった。

学校探しのおはなし

バンクーバーに乗り込んで一週間。時差ぼけも克服し、生活にも慣れて来たので、そろそろ英会話学校を探さなくては。遊んでばかりもいられない。日本では「成功する◯◯」を買い込んでいろいろ調べたが、膨大な数の学校があって埒があかなかった。とりあえずバンクーバーに着いてから学校を見て決めようと言うことになったのだ。おかげで学生ビザを取れなかったので、入国審査に手こずったが...。

まず、「バンクーバー新報」という日本語の新聞を買って来て、広告をチェックした。まあ載ってるは載ってるは。日本人向けの新聞だから載ってるのは当然だが...。日本でもお馴染みの「英会話のジ◯ス」まで載っている。俺の住むMetrotownにも安い学校があるようだ。とにかく全部切り抜いて場所等で分類。しばらく眺める。

とりあえずMetrotownにある学校を見にでかけた。丁度駅を挟んで反対側にあり徒歩10分くらい。交通費がかからないのはいいが、なんかあまりに近すぎる。買い物も全てショッピングモールで事足りてしまうので、この学校にするとMetrotownから出ないで生活できてしまい、つまらない。こんな所の学校なので授業料が安くて日本人が少ないのはいいのだが...。やっぱりDowntownの学校にしようと思い一旦帰宅。

Downtownには一杯学校があってどこから見に行こうやら。そんな広告の中に、「相談無料、授業料20%~50%OFF、学校資料多数あり、日本語OK」と言うのが目にとまった。どうやら学校紹介のエージェントのようだ。他にも似たようなのが3件くらいあった。安ければいいというものでもないが、とりあえず何処の学校が安くなるのか知っておくのもいいだろう。いざDowntownへ。

まずは一件目。エージェントはひとつ年上の韓国人(男)。

エ「何ヶ月バンクーバーにいますか?」
俺「5,6ヶ月です」
エ「ビザは?」
俺「ビジターで6ヶ月」
エ「何ヶ月勉強しますか」
俺「学生ビザが無いので3ヶ月しか通えません」
エ「学生ビザは必要なら、ここでも学校でも無料で手配しますよ」
俺「へっ?」(在日カナダ大使館の話しでは現地でのビザ取得は困難とのことだった)
エ「それにビジタービザでも学校を変われば何ヶ月でも勉強できます。」
俺「ほへっ?」(ビジタービザでは3ヶ月までしか学校に通えないと言う話だった)
エ「一つの学校には3ヶ月までしか通えないという意味です。」

現地に来て初めて知ったこの事実。なんか前提としていたもが全てひっくり返されてしまった。とりあえず安くなると言う学校を2つ紹介してもらい、資料を貰って学校見学へ。一つは授業が終わっているせいもあるのかもしれないが、壁が青くてなんか寒い感じ。もう一つは生徒同士が楽しそうにおしゃべりしていて、明るい感じだが、年末年始の休みがない。ふむふむ。

その脚で2件目のエージェントへ。ここでは3つ紹介してもらったが、そのうち2つは1件目と一緒。きっとこの2つはマージンが多くもらえるのだろうなどと、すっかり世間ずれしてしまって素直じゃない想像をしつつ、残りの1つを学校見学。ここではひょうきんな外人が応対してくれた(後で知ったがどうやら校長だったらしい)。なかなかいい感じで、年末の休みもしっかりあり(この国の年始の休みはどこも元旦のみ)、お値段もお手ごろだ。一日体験入学もできるとのことだったが、そんな時間は無いので遠慮した。

そんなこんなを3日間つづけた。3日ともとっても天気のいい日でもったいなかったが、Dowtownを行ったり来たりしてたから大分道の名前を覚えたかな。結局ひょうきんな校長のところに決めて入金。エージェントに値引いてもらった結果通常価格C$2,475がC$1,700(12weeks、20h/week)。日本で手配してたらこうは安くならなかっただろう。というわけで10/26から通うことになったとさ。めでたしめでたしだ。

英会話学校探し

というわけでカナダからの第二弾。来たばっかなのでネタは豊富だ。
今週は英会話学校探しに駆けずり回っていた。無数にある学校の中からなんとかひとつ選んで、10/26(Mon)から通うことになった。これでまた、義務的に朝起きなくてはならないのが憂鬱なのだが、不思議なものでこの二週間、ちゃんと朝目が覚めていた。遅い日でも9時くらい。起きなきゃならない理由もないのに...。
> Telford Ave. のページ更新しました。

食事のおはなし



これがおいらんちのキッチンだ。
さて「自炊するんだ」と言い切ってでてきた俺だが、その後どうしているのでしょう。これが結構やっているのさ、ホントに。はじめの数日こそ日本から持ち込んだレトルトごはんとかをたべていたものの、外食は出かけた時の昼食のみ。ほとんど毎日ごはんを炊いて自炊している。自炊と言ってもそんなに手の込んだことはしてないが、感心感心(自画自賛)。近所に巨大なショッピングモールがあることは以前書いたが、その中にはスーパーが三つあって、一つは中国人向けなのでお馴染みの食材がならんでいる。日本食も置いていて少々高いのかもしれないが味噌、豆腐、納豆なんでもござれだ(日本では値段を気にして買い物などしたことないので、ものの値段がよくわからない)。

なんでそんなものがあるんだと思うかも知れないが、ここは人口の20%くらい(だったと思う)が中国人で、中国人向けのCD屋とか床屋とかもある。そんなこともあり、普通のスーパーでも結構調味料とか置いてあったりする。レストラン、ファーストフードも世界各国の物がそろっていて、日本食も決して少なくない。Downtownを歩いていても容易に見つけることができる(やっぱり寿司屋が多いかな)。

先日、某知人のホームページにベーコンエッグ丼なるものが載っていたのでまねして作ってみた。この知人、元会社の先輩で現在は西那須野塩原で独り暮らしをしており、日記をホームページに書いているのだが、そこには夕飯のメニューが毎日書いてある(って、こんなに説明しちゃったら某でもなんでもない)。このとき「ベーコンが冷蔵庫になかったのでハムエッグ丼をつくってみました」とメールをしたところ、「醤油が決め手だ!醤油はあるのか?」という返事を頂いた。実際には醤油くらいどこのスーパーでも手に入るのである。というわけで御心配なく(->先輩)。

独り暮らしとなると買い物が非常にめんどくさいことを思い知った。一度で食べきれるものはまず無い。かといって毎日同じものを食べるのもなんだ。タマネギや果物などは重さで買うことができるが、キャベツはキングサイズのしかなく、とても一人では食べきれないので、こわくてまだ買っていない。捨ててもたいした値段じゃないのだが、それではお百姓さんに申し訳がたたない。日本のより二まわり以上でかいんでないだろうか。あと薄切りの肉がなくて困ったが、中国人向けスーパーでShabuShabuと書かれたのを見つけて愛用している。お米はわりと食べられているようで、日本のよりかなりまずいが、長粒米でないのがどこでも手に入る。「今日はポークソテーだ」といって豚肉を買って来ても四食分位あるので、残りは冷凍庫に。鮭の切り身を買って来てもたっぷり二食分はある。

そんなこんなで毎日冷蔵庫の中身の賞味期限を気にしている。スーパーの中で頬に手をあてている自分にはっとすることもしばしば(ここではそんな人いない)。はてさて、いつまでつづくことやら...。

観光したおはなし

15/Oct/1998(Thu)

Gastown (Gassy's Town)



さて、時差ボケも直ったし、アパートの近所も大体把握したし、天気もいいしということでDowntownへくりだした。Sky Trainに乗って終点のWaterfront駅で下車し、まずはVancouver発祥の地、Gastownだ。石畳の道の両側にはおみやげや、インディアンの民芸品、アンティークショップ、じゅうたん屋、レストランなどが立ち並んでいる。雰囲気的には横浜元町といった感じかな。半年いると言うのに、来ていきなりおみやげでもないので、ぶらぶらと見てまわるだけだ。観光名所ということで、内外を問わず観光客が来るような所だが、シーズンオフなのと平日なのとで思ったよりぜんぜん人が少なく、のんびりと歩き回ることができた。
(写真左がGassy Jackさんの像、右は蒸気時計)

日本人街

Gastownの少し先のPowell St.が一応日本人街と呼ばれているらしい。日本の物とか日本語の情報誌とかが入手できれば今後の生活に役立つと思い下見に行ったのだが...。寂れ切ってます。ぽつりと日本食レストランや日本の古本屋はあるものの「街」とはとても言えない。人通りもまばらで、歩いているのはとてもお上品な人には見えない。来ちゃいけないところに来ちゃったかな、と思いつつもズンズン歩いて行ったが、結局最後まで何もなかった。なーんだと少々拍子抜け。とっとと次へ。

Canada Place



ふたたびGastownをぬけてWaterfront駅まで戻り、その裏側にあるCanada Place(写真左)に到着。Burrard入り江に突き出ている1986年のVancouver万博のカナダ館をそのまま利用した国際会議場。ぽかぽか陽気の中ベンチに腰を下ろして、入り江の向こう側に見えるNorth Vancouverを眺めながらぼーっとした。眠くなってきたかも...。一服してきょろきょろ歩いていると、世界各地の方角と距離を示したポールを発見(写真右)。横浜まで7,554km。ふーん。

Habour Centre Tower



高い建物に登って真下を見下ろし、下を歩いている人に向かって「ふん、地上に這いつくばる虫けらどもめ」とつぶやく。このシーンはずいぶん昔にマンガだかテレビだかで見たものだが、それ以来昼間に高い建物に登る度にこれを思い出し、ついついやってしまう。昨年登った横浜ランドマークタワーでは虫けらがかなり小さく見えた。地元のくせに横浜マリンタワーにはまだ登っていないので帰国したら行かなくては。さてCanada Placeからすぐの所にあるHarbour Centre Towerの展望台にやって来た。ビルの上に着陸したUFOみたいなのがその展望台部分だ(写真左)。高さ167mで、展望台のフロアと展望レストランのフロアがある。さて早速下を見下ろしてみましょう。さすがに多民族国家だ。白、黒、黄色の様々な種類の虫けらが這いつくばっている...ふん。



中をぐるっと一周するとVancouverが一望できる。説明と地図と景色を照らし合わせながら位置関係を確認。ふむふむ。こうしてみるとDowntownは思ったより狭いことがわかる。内側にあるシアターではカナダの自然を紹介する映画がやっていた。すっかり気に入って3周くらいしただろうか。今度は夜景を見に来ようと思う。のんびり回っているわりにまだ時間がある。Downtownの中心Robson St.に行くかChinatownに行くかで迷ったが、位置的にRobson St.はこれからうんざりするほど通るだろうと思い、いざChinatownへ。

中山公園(Dr.Sun Yat-Sen-Classical-Garden)



まずChinatownの入り口にある中山公園に入る。塀で囲まれていて、中に入ると本当にここはVancouverなのだろうかと思う。伝統的な中国庭園を再現したものらしい。それほど広くない公園だが、落ち着いた気分になれる。他にいるのは4組くらい。観光客でごった返しているとたぶんこうはならないだろう。庭園は無料だが、館内は有料で財布のひもが締まっている俺はパスした。Chinese New Yearにはこのあたりでドラゴンダンスが見られるそうで、今から楽しみだ。

Chinatown



北米第2位の規模をほこるChinatown(1位はSan Francisco)。見渡す限り漢字の看板が並んでいる。銀行とかまで漢字の看板を出している。写真左を見ていただければ分かると思うが、横浜中華街とはずいぶん雰囲気が違う。観光地としての街という雰囲気よりも、中国人が生活する街といった感じが強い。前出の中国人の友人の話では、あまりがらのいいところではないので近寄りたくないとのこと。時は既に夕方。飲茶の時間ならぶらっと入ってみたいところだが、またにして今日は帰ろう。
Chinatown脇にある公園で一服。今日はよく歩き回った。グランドでは少年達がフットボールの試合をしている。それを応援している親達の熱狂振りがすごい。そんな夕暮れ時の風景を見ながら、今晩のおかずは何にしようかと考える俺だった。

カナダからの更新

さて、お約束通りカナダからの更新のはじまりはじまり(ぱちぱちぱち)。こっちは市内通話はタダなので、電話代の心配はしなくてよい。むぅ、日本もこーなってくれないだろうか...。
> Telford Ave. のページ更新しました。
ついでにInformationのページ引っ越しました。

部屋のおはなし



これが俺の住んでいるアパート。 Vancouver市の隣のBurnaby市にある。DowntownからSkyTrainで20分位のMetrotown駅から徒歩3分といったところか。アパートのあるTelfordAve.は端から端まで歩いても5分位の短い通りだが、幅は広い。日本なら十分に4車線はとれるだろう。同じようなアパートが立ち並ぶのどかなベッドタウンだ。近所には巨大なショッピングモールと図書館、巨大な公園がある。



これが居間。 寝る、食べる等すべてここで生活している。10畳位あるかな。前に住んでいた人は日本人の女性で、韓国人とシェアしてたそうだ。家賃はC$570/月で暖房費込み。家具、その他もろもろをC$600で引き継いだ。おかげでベッド、テレビ、ビデオなど二つずつある。その他は電話、ソファー、電気スタンド、机、棚、ラジカセなどなど。調理器具はかなり充実していて、ありがたいことに炊飯器まである。韓国製だが英語で表示の説明をしたメモがはってあって、とりあえず使えている。食器もすべてそろっていて、買い足さなければならないものはとりあえず何も無かった。



これが寝室。 掃除するのが面倒臭いからまだ使っていない。6畳位かな。大変もったいないのだが、この部屋を探してくれた友人の話によると、こっちでは日本でいうワンルームは無いとのこと。居間が広いのでわざわざ使うこともないだろう。この部屋は最上階(3階)にあるが、特に見晴しがいいわけでもない。ただ、周りの建物もせいぜい3階建てなので、空が広い。適度に年期の入った部屋で気にいっているが、居間の大窓を開けると閉めるのが大変。最近やっとコツをつかんだ。その大窓の外側にはバルコニーがある。



これが洗面所+風呂+トイレ。 写真には写っていないが、一応それなりに底の深い風呂おけもあって、寝れば十分肩までつかれる。アパート内は24時間暖房がきいている(なにせ暖房費込みだから...)。Tシャツ、単パンで過ごせるので快適だ。このため、外に出るときについつい薄着で出てしまう。気をつけねば。一応オートロックと言うのだろうか。アパートに入るカギと、部屋のカギが別々にある。来客はアパートの外から部屋にインターホンで呼び出し、部屋の中からアパート入り口のカギを開けられるようになっている。このインターホンの呼び出し音は凄まじい。多分部屋の何処で何をしていても聞こえないことはないだろう。

長い長い一日(出発日)のおはなし



10/Oct/1998(Sat)

11:20に起床、待ちに待った出発の日だ。ここ一週間ですっかり朝と夜が反転していて、寝たのは朝の8:00だったのでまだまだ眠い。大量の荷物のため、おとうと君に成田まで送ってもらうことにした。
12:30に出発したが、まったく渋滞しなかったので14:00に着いてしまった。14:30にチェックインを試みるが、「もう少し待って下さい」とのこと。暇だ...。
15:00にチェックイン。片道航空券ということで「ビザは?」と聞かれた。「いらないはずだ」と答えると何やら調べて「あっ、ほんとだ...」。先が思いやられる。再び退屈状態だが、重い手荷物を二つも持っているのでブラブラする気にもなれない。
17:30にDL52便で成田発。睡眠不足が幸いして、4時間位熟睡できた。一応日本人向けのメニューが用意されていて、夕食にはKaisen-Don、朝食にはOnigiriを頂く。
10:15予定より30分早くポートランド着。朝に戻ってしまった。入国審査で早速引っ掛かった。しばしの問答の末、無事入国。成田でチェックインの時に「ポートランドで一度荷物を出して、預けなおしてください」といわれたが、荷物がでてこない。いきなり荷物をなくしたか...。なんてことはない、バンクーバー行きに乗せ変えたとのこと。だまされた。喫煙所に直行し、時間をつぶす。
12:45のDL5947便でバンクーバーへ。50人乗りくらいの小さな飛行機だ。約1時間でバンクーバー着(13:45)。さてさて、問題の入国審査だ。ここで滞在期間が決定される。ポートランドと同じような問答の末、移民局へ行けと言われた。審査官はむっつり顔のおねーちゃんだ。

審「どんぐらいいる?」
俺「6ヶ月」
審「あんで?」
俺「観光」
審「帰りのチケットは?」
俺「ない」
審「ビザは?」
俺「ない」
審「ゼニは?」
俺「ある」(CITIBANKで貰って来た残高証明書を見せる)
審「...手持ちのゼニを見せてみ」
俺「ほれ」(日本円約30万を見せる)
審「...仕事は?」
俺「休みだ」(会社で貰って来た休暇証明書を見せる)
審「...ここには来年9月頭まで休暇と書いてあるが、後はどーすんだ?」
俺「世界一周」
審「ぺらぺらぺら?」
俺「..........」(何いってんだ?)
審「ぺらぺらぺらぺらぺーら?」
俺「....................」(分からん...)
審「ぺらぺーらビザぺらぺらぺらぺーら?」
俺「.................................」(ビザがなんとか...)
審「寝るとこはあんのか?」(おっ、質問が変わった?)
俺「友人がいる」(あらかじめ貰っておいた招待状を見せる)
審「この手紙英語じゃん、ちみは意味分かんのか?」
俺「分かる」
審「じゃあ試しに読んでみー」(一応日本の義務教育を受けてるんだぞ!)
俺「へなへなへなへな...」(一行半くらい読んであげた)
審「おうけい!」(このおねーちゃん初めて笑った)
俺「どーもありがとさんです」(俺も初めて笑う)

そんなこんなで、無事6ヶ月の滞在を許可されたのであった。ほっとしたところで眠気がおそってきた。
荷物を持って外にでると、友人が車で迎えに来ていた。彼はもともとは同僚(一年後輩)で、昨年12月に退社してカナダに移民した中国人だ。早速車に乗り込み、彼が探しておいてくれたアパートに向かう。左ハンドル右走行が気持ち悪い。部屋に着いてだいたいの説明を受ける。適度に年期が入っていて気に入った(部屋の様子はまた今度書くことにして)。コインランドリーに行くと外人に日本語で話し掛けられた。20年前に日本に住んでいたとのことだが、そんな歳には見えない。近所には大きなショッピングモールがあり、当面の必需品(食料、トイレットペーパー等)を買いに行った。ついでに電話の申請をしたが、買い物が終わって部屋に戻ると既につながっていた。
夕飯を御馳走になりに、友人宅へ。アパートから車で30分くらいの所にあり、一軒家のベースメントできれいだ。彼の娘はもうすぐ3才で人見知りがはげしく、目をあわせてくれない。レストランのように豪勢な中華料理を御馳走してくれた。お腹一杯になったところで眠気が最高潮に達する。22:00位にアパートまで送ってもらい、ばたんきゅー。
いったい俺の10月10日は何時間あったのだろう...。

出発当日

随分と更新してなかったが、それなりに忙しくしてたと言うことにして、勘弁してもらいましょう。という訳で出発です。当日だというのにいったい何をやってるんでしょう。でも夕方の飛行機だし、支度もできちゃったし、暇なんです...。
> Information のページ更新しました。

Departures

さてさて、いよいよ出発だ。なんかまだ実感わかないんだけど、行ってしまえばじわじわと盛り上がってくることだろう。ポートランド乗継ぎバンクーバー行きの片道チケットで行くわけだが、この片道チケットってコスト面でのメリットはあまりないようだ。ロス往復のが安かったりするからやってられない。なんで片道チケットかと言うとさんざん悩んだあげく、バンクーバーから日本に帰国しないで、北半球をグルッと一周してくることにしたからだ。
なんかここ数日で急激な円高が進んでゴキゲンだ。換金は現地で、トラベラーズチェックも持たず、現金とカードで乗り込もうとしたのがラッキーだった。シティバンクの預金も円のままだ。といっても11ヶ月もあればどーなっちゃうかわかんないが...。
もうひとつラッキー話しをすれば、ベイスターズの優勝を見れたこと(テレビで)。サッカーでも野球でも地元横浜を応援しているわけだが、とーぜんのことながら大洋時代から優勝シーンを見るのははじめて。まだ野球少年だった頃は緑と橙の野球帽をかぶって川崎球場に通ったものだ。そーいえばここ数年、新聞やからただ券をもらえなくなってからあまり見に行っていない。うーむ、良く考えたらチケット買って見に行ったことは無いかも知れない...。
話はそれたが、なんとか荷造りも終わって、後はこのパワーブックをつめこむだけだ。ではでは行って来ます。

重要なお知らせ

> Information のページ追加しました。
久しぶりの更新だが、そういう訳だ。まだ一月以上あるけど...。ぼちぼちやることはやっておかないと。
そうそう先週ザウスに行って来た(涼みに?)。なんか、朝の8時だというのに、えらく込んでたな。前(一年前)はあんなに込んで無かったと思うけど。朝早く起きて遊びに行くのはあまり得意ではない。案の定へろへろになってしまって次の日はだるかった。いい加減に土日のどっちかは、午後をスノボータイムにして欲しいものだ。ねぇ、みなさん。

Information

お知らせ

この度11ヶ月間の休暇取得に成功したため、しばらく日本を離れることとなりました。現地でも可能であれば当ホームページの更新をしたいと思っていますが、しばらくお休みすることになるかもしれないので、お知らせ致します。また、この間いったい何処で何をするかということをここで合わせてお知らせ致します。

休暇中の予定

1998年10月05日~1999年09月03日

一応この間が会社に与えられた休暇期間。なぜそんなに休めるんだと思うかもしれないが、私の会社には長期無給休暇制度と言うのがあり、このように規程されている。「社員が自己実現をめざして広く世間を見聞し、または希望する教育期間に入り研修を受ける等の目的で1ヶ月以上1年以内の期間会社を休み、国内外に遊学を希望するもののための制度」。私の計画がこれに沿っているかどうかは疑問であるが、とりあえず社長は判子を押してくれた。
そもそも私の企みの発端はこの制度だ。入社前からこの制度があることは知っていたが、別にこれの為に入社したわけではない。たまたま入社を決めた会社にこの制度があっただけだ。入社後、いつかこれを利用しようと考えて海外旅行も行かず、車も買わずにちょびちょびとお金を貯めていた(といっても普段はそんなに質素な生活をしていたわけではない)。これが絶対に行ってやるに変わったのがそれから数年後。先輩が私に仕事を残して3ヶ月間ダイビング三昧の旅に出ていってしまった時だった。
もうそろそろいいだろうというくらい貯まったのが3年位前だろうか。ところがそのころになると、だんだん大きな仕事も任されるようになっていて仕事が面白くなっていた。とりあえずこの仕事が終わってからにしよう、ということで余ったお金で短期で海外に出かけるようになった。しかし、仕事は数珠繋ぎでどんどん回ってきて、ずるずると伸びてしまった。昨年初春にまた新しい仕事を担されることになった。これは私もやりたかった内容。しかしまたずるずるしてしまうので、これが終わったら絶対行くと、この時固く決心した。
だからと言って、許可がおりるわけでもない。とりあえず昨年秋に、考えていることを上司に伝え、幸いにも好感触を得ることができた。そこから、具体的な計画に入る。どこへ行こう、何をしよう、買い物もこれを前提にした。おおかた仕事のめどがついてきた今年の春、具体的な希望を上司に報告し、一応の許可を得る。そこから申請書を書いて会社に提出し、正式な許可がおりたのが6月位だった。いくら制度があるといっても、これだけ長期に休むのはそれなりに大変だった。
さてその休暇だが、最初の1ヶ月は有給休暇とリフレッシュ休暇の利用で、残りはこの長期無給休暇となる。これを前半と後半に分けて行動する予定だ。住むことと旅行することは明らかに違うので、どちらにするか一応迷った(ふりをした)が、両方してしまえ、といったところだ。

1st Stage.

バンクーバー(カナダ)にて3ヶ月~4ヶ月間英語の学校に通い、語学の習得にはげむ(つもり)。同時に近辺への旅行やスノーボードを楽しむ(こっちが主目的?)。
語学留学ではホームステイが一般的なようだが、一度一人暮らしをやってみたかったので部屋を借りるつもりだ。和食党(というよりはお米が食べられればよい)の私には少々辛いかも知れないが、お金を出せば日本食も手に入るようなので、ときどきは食べようかと思う(お米は毎日食べよう)。家事なんて出来るのかと思うかもしれないが、その昔(相当昔)母親が1年位寝込んだことがあって、一通りのことはやったことがあるので、まあ何とかなるだろう。といっても、父親が定年退職してから年2,3回海外旅行に出かけるようになった両親の留守中にどうしているかというと、もっぱら外食、お弁当で作ってもチャーハン、ラーメン位。いつのまにか進化してしまった洗濯機等の使い方に四苦八苦しているような状態だ。まあ働いているので時間が無いという言い訳もできるが、がんばらねば。
現地には友人がいるので、部屋はあらかじめ彼に探してもらう。とりあえずの住居として考えているので、気に入らなかったらその後ゆっくり探すことにする。向こうでは敷金礼金みたいなものがないので、比較的気軽に引っ越しできるそうだ。彼からの情報によると、カナダでは喫煙を理由に部屋を貸さないことが法律で認められていて、禁煙の借家が結構あるそうだ。
語学学校は今までにいろいろと調べたが、かなりの数があってどれにしてよいやら。日本人学生ばっかでもつまらないが、最低でも20%位はいるようだ。アジア系が多く、中南米、欧州が少々といったところか。最近の経済事情で韓国の学生が減っているとかいう話も聞く。いろいろまよったが、結局現地に行って見てから決めることにした。ここで問題になるのがビザ。3ヶ月以上学校に通う場合は学生ビザが必要となる。現地で取得するのが面倒くさいようなら3ヶ月、なんとかなりそうなら4ヶ月通うことにしようと思う。まあ最近の円安で予算も心配(まだ下がるかな)なので、3ヶ月でもいいやというのが本音である(なにせ無収入状態だし)。
数年前に一度ウィスラーにスキーをしに行ったことがある。この時は正月休みで短期だったし、天気にも恵まれず、風邪をひいたりして十分に楽しめなかった。今回はバンフあたりにも足をのばして、ゆったりと楽しむつもりだ。ここ数年ですっかりスノーボードがメインになっているので、ボードを持っていくつもりだ(現地でニューボードを買ってもいいな、などとまた贅沢なことも考えている)。
バンクーバーでもインターネットに接続するために、愛用のPB2400を持っていく。プロバイダについては現地で契約するか、日本で海外アクセスポイントのあるところと契約するか迷っているところである。契約解約の手間を考えると日本のがいいかもしれないが、むこうでは100時間/月で20C$位が一般的のようなので、沢山つかうなら現地で契約したほうがかなり得だ。とりあえずメール位は使用できるようにしておかないと上司に怒られる。ここのページも可能であれば更新して、生息状況をお知らせすることができるだろう。

2nd Stage.

ここでは、ヨーロッパと東南アジアを周遊するつもりだが、詳細はまだはっきりと決まっていない。旅の楽しみは3度あり(事前の計画準備、旅行中、帰ってからの一生の思い出)と言われるように、今にやにやとしながらあれこれと計画を練っているところだ。
といっても細かくはあえて決めないことにしている。その日の気分で右に行くか左に行くか、はたまた進むか戻るか留まるかを決めていくような、そんな気ままな旅をしたいからだ。だんだん近付いてくるにつれて、あそこも行きたいここも行きたいと、だんだん欲が出て来ている。全部行くと2~3年はかかりそうなので、しぼるのが大変だろう。はっきりしているのは、イギリスとインドをしっかり見てくること。学生時代よりここには強い憧れがあって、短期の旅行ではなく気のすむように見たかったので、今までに行っていない。なにをどう憧れているんだと聞かれると困ってしまうが、とにかくそうなのだ。つい昨年末まではロンドンで英語の勉強しようと思っていたが、もろもろの事情(省略)でカナダにした。
あまり知識を詰め込まないで行こうとは言っても、最低限の知識は必要で、ビザと国境越えについてはぼちぼち調べている。これに失敗すると無駄に日数を費やすことになる。それも楽しみと言えば楽しみだが、毎回失敗する訳にはいかない。とにかく面倒臭そうなのがアジア。ビザが必要なのはもちろん、飛行機でしか入国できないようなところもある(猿岩石がこれで飛行機を使ったのがばれた)。国境でビザが取れるところもあるが、おおかたはあらかじめ大きな都市で取ってから国境に向かうことになるようだ。日本で用意していくことも可能だが、それも味気ないので現地調達にする。
基本的にはバス、電車を利用して移動するつもりだが、時間が無制限にあるわけでもないので、必要なところでは飛行機も利用する。そんなに貧乏旅行をするつもりでもないが、お金も無制限にあるわけないので途中で予算オーバーなどとならないように気をつけねば。
とりあえず来年2月か3月位にバンクーバーをたって、ふらふらすることになる。当初は北米を足早に横断してイギリス出発、インドゴールのつもりでいたが、最近少しずつ気が変わって来ていて、一旦帰国してからタイ出発イギリスゴールになりつつある。まだまだ出発前の楽しみは続きそうだ。

ではでは

とにもかくにも、こんな機会を与えられたことに感謝しつつ、十分に満喫して来たいと思う(社会復帰できるかな)。普通サラリーマンしているとなかなか難しいのではないだろうか(会社やめちゃうんなら別だけど)。無事帰って来た際には旅行記でも書こうと思っているのでお楽しみに。

Telford Ave.



10/Oct/1998 - 29/Feb/1999

Vancouver, Canada

富士登山報告

> Mt. Fujiのページ追加しました。
そうです。とうとう富士山に登ったんですね〜。日本人ならやっぱり一度は登りたいと思うもの(俺だけ?)。天候にも恵まれてよかったです。でももう二度と行かないかも...。ヘリコプターで一気になら行ってもいいかな。うんうん。
ついでにYokohama Skip Stepsのページのお知らせに今度の試合のこと書いといた。

もういやだ...。

> Bad Strain のページ更新しました。
最後まで一気に書き上げた。もういやだ...。昔話なんか書くもんじゃないと反省した。むぅ。その後ライブをやろうなんて話もあったけど、その後進展していない。スノボーには行ったが...。

神戸に行って来ました。

全然関係ないけど、3連休に神戸に行って来た。金曜夜新幹線のぞみで乗り込む。翌日は車で明石海峡大橋(でかい!)を渡って淡路島へ。さらに大鳴門橋を渡って徳島へ。初めての四国上陸だ(むん!)。渦潮タイムを調べて行かなかったので、渦らしきものしか見れなかった(残念!)。うどんの汁が透けている(やっぱり!)。復路も同じルート。夕暮れを待ってライトアップされた明石海峡大橋(おおっ!)を見て、高速の渋滞から神戸まつりの花火を見た。二日目、せっかく神戸だから神戸の王道を。ハーブ園から異人館街をうろうろ。3連休なので観光客がひっちゃかめっちゃかだ(むぅ!)。夜は本格神戸牛の焼肉屋「味鉄」に行った(雑誌なんかにものってて、神戸じゃ有名?)。これが滅茶苦茶うまかった(はふっ!)。その足で、1000万ドルの夜景を見に六甲へ。神戸、大阪、淡路島から和歌山まで見える(ほう!)。日曜日新幹線ひかりで駅弁を食べて16時頃家についた(ふぅ)。とても楽しかったが、おみやげはない(うん)。
> Bad Strain のページ更新しました。

Bad Strain

> Bad Strain のページオープンしました。
Bad Strain のページは、現在ほとんど活動していないのでネタがないぞ〜。ということで昔話しを書くことになってしまった。写真やビデオが残っているものの、スキャナもビデオキャプチャもないので、取り込めない。どうしよう...。そこで思い付いた苦肉の策が、テレビの画面をデジカメで撮るという荒技だった。適当に撮ってみてパソコンに転送。う〜ん、こりゃ使い物にならないかな...。縮小。むぅ〜、まあいいか。採用...。

強そうに見えるな...。

> Yokohama Skip Steps のページオープンしました。
Skip Steps のページは、選手名鑑を作ろうと思ってたんだけど、画像が何にもないので、工事中にしておいた。6/20に練習試合があったから、デジカメを持っていって撮影会。最近集まりが悪いから全員分はそろわなかったけどよしとしよう。本当はもっと色々書きたかったんだけど、他人のプライバシーを書き込むのに気が引けて削っていったら、結局背番号とポジションと名前だけになってしまった。でもなんか、こうすると強そうに見えるな...。

ホームページ公開しました

なんかこのまま人様にお見せるのかと思ったら、細かいところ気がまわってちょこちょこ修正して実験してたら、友人に見つかってしまった。もういいやっ。手始めに大学時代の友人にメールを送った。バグ出しよろしく...。

1998

ホームページ登録しました

暇なときにちょこちょこ書いてきたけど結構形になってきたなぁ。よしよし。そろそろ人様にも見てもらおう。そんなわけで昨日の夜申請書を投函したところ、今日の夕方にはもうメールが返って来た。随分早いじゃないか。作ったものを書き込んでみる。おっ、書けた書けた。むっ、見える見える...。これが世間で言うところのゴミページの誕生シーンだ。

ホームページ作ろっかな〜

1997年某日のこと。
とりあえず、登録は後回しにして、ホームページ作ってみよう。どーせお遊びのつもりだから、趣味の話でもきままに書けばいいだろう。が、文章を書くのも、画像を収集するのも結構面倒臭い...。むぅ。